土曜日にお見舞いに行って来ました。
大腸がんと肝臓がん(転移)で緩和ケアに入った旨、連絡が入ったのは2月のはじめ。一度病院に入院したのですが、在宅医療、訪問看護を手配して、自宅に戻られたそうです。
余命宣告は3ヶ月。間に合ってよかったです。
お見舞い金ではなく、叔父が好きな物を従姉妹が、私は叔母に少しでもホッコリできそうなものを、各々準備してゆきました。(叔父にはカステラ。叔母には花一会のスープ)
叔父は寝起きや室内の移動について、まだ自身で出来る状態でした。
お昼過ぎにおじゃまする予定だったのですが、お寿司をとって下さって、叔父も一緒に食事をすることができました。(もっとも、叔父はお蕎麦でしたが)
。。。わが家にも、、最近、基本麺類しか食べない人がいますね
叔母とちゃんと話をする機会は初めてでした。
私が子供の頃に疎遠になってしまったし
私もいい年齢の大人になりましたからね
同じく、患者家族ですしね。
良い時間を過ごせたと思います。
きっと叔父も、そんな私達の話をベッドで聞いていたかもしれないです。
半ば勘当のような形。私には、そんな記憶が叔父と祖父母の間にはありました。
しかし叔父のベッドサイドには、祖父母(叔父から見ると両親)の写真がちゃんとありました。そんな叔父の面持ちは、、若い頃は祖母に、年老いた今は祖父にそっくりでした。
夕方になる前、おいとましました。
帰り際、なんと‼️私と従姉妹にお小遣いをいただいてしまいました
私も従姉妹もイイ大人です。ご遠慮したかったのですが、、
叔母から「姪っ子が来てくれた。2人とも結婚やらのお祝いもしてあげられない叔父さんだったから・・・って言ってたよ。だから貰ってあげてね」と言われました。
封筒の裏に叔父の名前が書いてありました。多分、字も書き辛くなっているのかな、、という筆跡でした
ちょっと泣きそうになりながら、、叔父の家を後にしました。
帰り際、叔父に「叔母さんの言う事、しっかり聞いてね!!!」と言ったのですが、叔母から「もっと言って〜!!ww」と言われてしまいました。
・・・どこでも、、一緒よね、、言う事、聞いてほしいわね
ちなみに、、20年ぶりくらいに会う従姉妹。
あっさり、会えました
帰りは市バスでしたが、、バス停が点在していて要領がつかめずで、走ってバスを追いかけて乗りましたまるで、テレ東の路線バスの旅みたいな、、太川陽介の気持ちがわかりみ、、くらいの全力疾走を2人でしました