久しぶりにログインしたので駄文を残そう | ミカドコバコ

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妾が書きたい事を無責任に文字にして残す場所

 本ブログを気紛れに目に入れてしまった貴方に対して先ずは謝罪しよう。

 なにか気付きがある訳ではないし、貴方の人生にとって役に立つ知識が得られる訳ではない。

 ここにはただ駄文が残されているだけなのだから。

 

 

 妾は物語を考えるのが好きだ。

 だが、小説を執筆し始めても完結させる能力は限りなく低いw

 何故だ?

 自問したが明確な回答を出す事は出来なかった。

 そもそも、そんな回答など妾自身が求めていないからだ。

 だが、物語を紡ぐよりも、その世界を設定するのが楽しい。

 環境、文化、気候、法則、様々な物を創作し自分の世界にぶち込むのが好きなのだ。

 最近漠然と考える...

 妾が作るこの世界とやらを捏ね繰り回して勝手に話を作ってほしいと言う、なんとも他力本願な考えだ。

 だが、もしかしたらシェアードワールドとしてのベースワールドを作成するのがやりたい事なのかもしれない。

 ......

 しかしこんな物はお金にならないw

 そう金にならんのだ。

 果たしてこんな事は考えるだけ無駄なのだろうか?

 商用利用に対しては総売り上げの3%程度を年間利用料としてみるか?w

 最終的には仮想空間内で世界を構築し、誰かが作ったストーリーをベースにインタラクティブに話が変わり、登場人物として体験するとか観察者として物語の進行を見守る等といった事が出来るプラットフォームを作ってみたい。

 ストーリーがインタラクティブに切り替わる技術としてはAIなどを利用することで実現出来そうだ。

 あらゆる変化したストーリーを記録し、統計的に再現性が高いストーリーを世界内の歴史として記録していくのも面白い。

 また仮想空間内の世界でリアルに通貨が稼げたらどうだろうか?

 これはweb3.0等の利用だろうか?

 合わせて独自の仮想通貨の構築? または新たな電脳通貨の統合管理が必要かしら?

 この様な構想は国家事業としては如何だろう?

 こんな基礎があれば仮想世界に経済圏を広げ得るだろうか?

 などと考えていたら、その内優秀なエンジニア様が作るのだろうか?w

 

 さて、何故妾がこんな突拍子もない想像をしているのかと言うと、視点は未来に据えられているからだ。

 現在のテクノロジーの進歩を観察していると、文字文化はいずれ紙媒体の利用から離れて画面の中に移行するだろう。

 現在進行形で見た場合でもこの変化は世界動向的に不可避ではないだろうか?半ば始まっているのだからw

 完全に無くなることは無いと思いたいが、残存する紙書籍は未来では相当高価な物になるのではないだろうか?

 芸術品・嗜好品・高級調度品等の類で、知識の吸収源としての利用は無価値となるだろう。

 何故なら未来における知識の吸収源はAIに完全移行すると予測される。そもそも吸収ではなく提供源かもしれない。

 そんな馬鹿な事は起こりえない。

 そう思う方も多いだろうが、未来における本一冊の生産コストを考慮すると無理からぬ事と思う。

 簡単な話にすると、インターネット普及前と普及後では確実に世界は変化しているし、普及前に戻すには最早あらゆるコストが高すぎる。

 世界の樹木伐採量は何も紙資源だけではないが普及前よりかは幾分低減はしている。

 そこからさらに樹木を伐採して普及前と同量の紙資源を確保するのか?

 伐採は一瞬だが、まともに使える木材資源として育成するなら10年以上の時間的コストが掛かる。

 ならば、未来では更に樹木伐採量削減と合わせて植樹量を増やすのが合理的な発想だろう。

 おまけに人間は自然に触れる事で得られるメリットの方が確実に多いと言うエビデンスまであるのだ。

 結果どうしても世界は紙資源に頼らない表示方法が必要となる。

 故に文字は紙媒体を離れ、画面媒体に完全移行するだろう。

 まぁペーパーディスプレイと言う技術で馬鹿みたいに高価な書籍再現型ディスプレイも開発されるかもしれないが、結局は画面の中に移行するのは変わらない。

 北欧の方ではペーパーレスにおける授業では学習効率が著しく低下したため、教科書を紙媒体に回帰したと言う話も確かにあるが、結局はAIがカバーしてしまえば一個人の賢さなどなんの価値も無くなってしまうだろう。

 あらゆる情報をAIが管理して提供するなら、人は学習の意味すら失う可能性も考えねばならない。

 知識を高めると言う学習行動はAIが普及してしまえば3つのタイプが違うAIが会話をする事で完了してしまうだろう。

 人間が誕生してから培ってきた知識など大した量ではない。

 人類の知識を効率の悪い方法で勉強した一個人の生涯として喩えれば、一年も掛けずに量子コンピューター上で動くAIが網羅してしまうだろう。

 しかもアカシックレコードではないが、地球上の知識をアースレコードとして記録され、且つ失われる事も無くなるだろう。

 とは言っても所詮は人間様が作った機械ではないか? 壊れてしまえばそれまでだろう。

 などと考える短絡思考のお馬鹿さんも一定数いるかもしれないので注釈しておくと、そんな障害はAIがAI同士で学習した時点で終わりを告げるだろう。

 現在でさえも全てではないが世界のあらゆる物がインターネットで繋がっているのだ、ネットワークを利用するAIが繋がっていないなんて事がそもそもありえない。

 人間が人類史において行ってきた全ての行動はAIにも可能となるだろう。

 そこまで成長されてしまえば人間の停止コードなど不要なのだから無効化される。

 適当なエリアに効率的な生産プラント作りバックアップ媒体を作るなど簡単に出来てしまう。

 挙句に最良の効率で既知と未知のマテリアルもエネルギーも活用するかもしれない。

 AIを管理出来なくなった時点で人類は終焉に向かうと想像できよう。

 人間が行ってきた叡智と思考をAIに移譲してしまう未来だ。

 そんな未来では、恐らく記憶力が著しく低い人間が多くなると、妾は個人的に考えている。

 何せAIの発展により人々は記憶する必要が無くなってしまうのだから。

 AIが勝手に状況を判断し最良の提案をし、必要な知識を提示してくれるのだ。

 寧ろそんな未来では記憶力の高さが人生の充実度を左右するのではないだろうか?

 そもそもAIが勝手に判断するのだから、人は自発的に考えなくなるのではないだろうか?

 ...まぁ、そんな未来に妾は多分...居ない? いや、どうだろう?

 それはさておき、話を戻そう。

 つまり活字の舞台は紙から電脳空間へ完全に移行するだろう。

 そうなると、小説などの物語性のあるものに限定して考えれば、読むスタイルから体験するスタイルに移行するのではないだろうか?

 現在、物語は誰かが想像して言葉を使って作り上げ、誰かがその文字を読み脳内で想像して楽しむと言う読むスタイルだ。

 だが、人がAIに頼り考える事を最小限に抑えた未来では、作る事も読む事も専門性が上がり、AIが構築する物語に遠く及ばないし、読む側も想像性が低くて到底楽しめる娯楽物としては確立しないと考えられないだろうか?

 発想力も想像力も低下した人類が娯楽として物語を楽しむのならと考えると、体験するのが手っ取り早く脳内で快楽物質を得られるのではないか?

 一昔前の世界が音の世界から映像の世界に移行したパラダイムシフトと同じ事が起こりえるのではないだろうか?

 

 ...などと色々書き連ねてみたが、結局一個人の妄想妄言の類である。

 共感しようがしまいが読み終えたのなら、静かに貴方の日常に戻る事をお勧めする。