東京で、一人暮らしをしていた時のこと、

 

 

料理を作るのが好きで、

 

 

割と自炊率高め男子だった僕は

 

 

狭いキッチンで工夫をしなら、

 

 

手軽で、美味しくて、お腹が満たされるものを

 

 

クックパッドで調べながら

 

 

(もちろん有料会員です)

 

 

料理を作って食べるのを楽しんでいました。

 

 

その時の食器といったら、

 

 

無印と100円ショップで揃えた

 

 

ごくごく少数の精鋭ばかりでした。

 

 

(どれも「一軍」と呼ばれるものである笑)

 

 

そんなとある日のこと、

 

 

一つの食器が割れてしまったことがある。

 

 

めちゃくちゃ気に入って使ってたわけでもなくて、

 

 

「割れちゃったかー」くらいだったんだけど、

 

 

そのあと同じような食器を買い直すまで、

 

 

思いの外、使い勝手が良かったことに気づいて。

 

 

「こっちの器じゃ小さすぎるし、

 

 

 こっちの器じゃ大きすぎる、、、」

 

 

みたいなことが、その割れちゃった器がない時に限って

 

 

際立って感じたんですね。

 

 

普段は当たり前のように使っていたけど、

 

 

いざなくなると困ってしまう、みたいな、

 

 

失って初めて気付かされる、という体験は、

 

 

人生の中で繰り返し、

 

 

大なり小なり起きるものなのだと思うのです。

 

 

例えばそれが、

 

 

風邪を引いて健康を失うことで、

 

 

「何もないこと」の大切さ知ることなのかもしれないし、

 

 

何かモノを失ってみることで、

 

 

その「利便性」や「愛着」に気づくことなのかもしれないし、

 

 

誰かとの関係が離れることで、

 

 

そこから得た「学び」や「恩恵」を受け取ること、

 

 

だったりするのかもしれません。

 

 

何かを失うことは、

 

 

同時に「感情的な痛み」を引き受けること、

 

 

と言えるのかもしれません。

 

 

全てがそうだ、とは思わないけど、

 

 

そういう一面も、あるのかなぁって僕は思うんですね。

 

 

だから、その痛みから目をそらし続けている限り

 

 

次に進めないように、

 

 

人生というものはそうなっていると思うのです。

 

 

だけど僕は、

 

 

「感情的な痛み」があるからこそ、

 

 

自分の人生において大切にしたいものがわかったり、

 

 

本当に生きたい人生を思い出すことができたり、

 

 

することもある思うのです。

 

 

失うことは、

 

 

悪いことでも、自分がダメなわけでもありません。

 

 

失ったことに目をそむけず、

 

 

自分の気持ちに目を逸らさず、

 

 

ほんの少しの「意欲」と「勇気」があれば、

 

 

気づき、学び、より自分を幸せにするための

 

 

「恩恵」に変えることができる「強さ」が、

 

 

誰の中にもあると思うし、

 

 

僕はその「強さ」を、信じたいのです。

 

 

乗り越え、恩恵を受け取ることに

 

 

早すぎることも、

 

 

遅すぎることもありません。

 

 

そして、それは

 

 

誰かと比較するものでもありません。

 

 

それが、自分自身にとって、

 

 

必ずベストなタイミングで受け取るようになっていますからね。

 

 

あなたのペースを大切に、

 

 

少し怖くても、自分の人生を信頼して、

 

 

あなたらしく進んでいけますように。

 

 

 

***

 

 

◆失うことで、得たことに目を向ける

 

◆「感情的な痛み」が起こることもある

 

◆痛みを「恩恵」に変えるキッカケは、ほんの少しの「意欲」と「勇気」

 

◆乗り越えることに、早すぎることも遅すぎることもない。

 

◆ベストなタイミングを信頼する

 

 

***