罪悪感を手放したくても

 

 

なかなか手放せない時、

 

 

それは「決断すること」が必要なのかもしれません。

 

 

セッションにおいても、

 

 

罪悪感を感じていて

 

 

それによって動けないでいる人も少なくないんですね。

 

 

過去にしてしまったことに罪悪感を感じていたり、

 

 

未来のやりたいことに対して罪悪感を感じていたり、

 

 

いろんな場面で感じることがあると思います。

 

 

罪悪感=自分を責めること

 

 

とするならば、

 

 

ほとんどの場合において、

 

 

自分自身が誰よりも自分を責めています。

 

 

もし、自分に対してしている責めを

 

 

他の人にしてしまうと、

 

 

間違いなく関係性が壊れます。

 

 

そのくらい、

 

 

自分を責める、という行為は、

 

 

どこまでもエスカレートできるんですね。

 

 

人よっては、

 

 

びっくりするくらいクリエイティブに自分を責めるので、

 

 

自分を責めることは多くの人にとって

 

 

そのくらい日常となっているのかもしれません。

 

 

逆に言えば、

 

 

そのくらい日常となっている自分を責める、という行為が、

 

 

なくなったり、ひっくり返るとどうなると思いますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し想像してみるだけでも、

 

 

まったく違う世界になっているんじゃないでしょうか。

 

 

自分を責めなくなりたい、という方に対しては、

 

 

僕がまず確認していることがあります。

 

 

それは、

 

 

誰かに責めさせられてる?

 

 

それとも、自分で選んで責めてる?

 

 

ということ。

 

 

何か不可抗力で、

 

 

自分を責めるような状況になっているのか、

 

 

それとも、自らの選択で

 

 

責めることを選んでいるのか、

 

 

その、どちらか。

 

 

すると、ほとんどの人は、

 

 

自分で選んでいる、ということに

 

 

立ち戻ってこれるんです。

 

 

罪悪「感」ということは、

 

 

自分が感じていること。

 

 

自分が感じていることは、

 

 

何かにフォーカスをしていて、

 

 

自分の罪、に目を向けることもできるし、

 

 

それを許してくれた相手、に目を向けることもできるんですね。

 

 

罪悪感は自分で選んで持っているんだ、ということに気づいたら、

 

 

次のステップ。

 

 

「この自分責めをどうしたい?」

 

 

ということ、なんですね。

 

 

自分を責めてしまう、と悩む人は多いけど、

 

 

「果たして本当に、自分責めることをやめたいのか?」

 

 

「本当の本当は、どうしたいのか?」

 

 

という本人の意思がとても大切になってくる。

 

 

だって、不可抗力で責めさせられているわけでもなくて、

 

 

自分で選んで責めているのだから。

 

 

どんな理由があるにせよ、

 

 

自分で選んで責めている以上、

 

 

そこには「理由」があります。

 

 

それはほとんどの場合、

 

 

両親との関わりか、過去の出来事が起因しています。

 

 

その「理由」と向き合っていくことが、

 

 

罪悪感を手放していく一歩なのかもしれません。

 

 

自分で自分を責めることを選んだ「理由」があり、

 

 

その「理由」を許すこと。

 

 

それは言い換えると、

 

 

幸せになることを許す、

 

 

ということでもあるのだと僕は思います。

 

 

罪悪感を使って止めていること。

 

 

罪悪感を使って、やらなくていられること。

 

 

きっとその先に

 

 

自分らしい人生が待っているのだと思います。

 

 

 

 

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