単純な話、

 

 

現実は自分が無意識に感じていることの、

 

 

増幅器のようなもの。

 

 

例えば、

 

 

僕の一族は年齢とともに

 

 

髪の毛が薄くなっていくという呪いが

 

 

かけられているのですが、、、

 

 

シャンプーして

 

 

ふとシャンプーブラシについた髪の毛を見ると

 

 

「やっぱり!」

 

 

って思いますもんね。

 

 

(恐ろしい呪いです、、、)

 

 

で、

 

 

この「やっぱり」ってことが

 

 

ポジティブな「やっぱり」で溢れているのか、

 

 

ネガティブな「やっぱり」で溢れているのかで、

 

 

人生の難易度って全然変わってくると思うんですね。

 

 

「やっぱり自分ってついてるなー!」

 

 

って思うのと、

 

 

「やっぱり自分ってついてないなー、、、」

 

 

って思うのとじゃ、

 

 

表情も、考え方も、その後の行動も、雰囲気も

 

 

全然変わってくる。

 

 

この「やっぱり」と感じることは、

 

 

頭ではっきりと言葉として思ってなくても、

 

 

感触とか、感覚とか、そのくらい小さいレベルで

 

 

感じていることを含めると

 

 

1日の中でもたくさん出てくると思うんですね。

 

 

やっぱり起きれなかった、とか

 

 

やっぱり続かなかった、とか

 

 

やっぱりダメだった、とか

 

 

「やっぱり自分ってこうなるよね」

 

 

という「やっぱり」の中を見ていくと、

 

 

今の現実を作っている、

 

 

「雛形、原形」が見えてくる。

 

 

原形がある→現実を認知、解釈する→「やっぱり」

 

 

みたいな感じ。

 

 

例えば、

 

 

コップの水じゃないけど、

 

 

自分は素晴らしいところがある!って原形があれば、

 

 

何かミスをした現実が起きても、

 

 

自分のこの部分は素晴らしかったよね、ってなるし、

 

 

何かいいことがあったら、

 

 

やっぱり自分っていいところあるよね、って思えますよね。

 

 

逆に、

 

 

自分はダメなところがある、って原形があれば、

 

 

何かミスをした現実が起きたら、

 

 

自分はやっぱりダメなやつなんだ、って思うし、

 

 

何かいいことがあっても、

 

 

どうせたまたまうまく行っただけ、って思うかもしれません。

 

 

そんな風に「やっぱり」って思うことって、

 

 

自分の中にある原形や雛形が

 

 

現実を通して増幅されたものとなって

 

 

「やっぱり」ってなってる、ってことだったりするんですね。

 

 

だからもし、今の現実を見て、

 

 

「やっぱり〇〇だ」とか「やっぱり〇〇である」

 

 

と思うものが、あまり心地よくないものだとしたら、

 

 

まず、それらを疑ってみること。

 

 

本当にそうなのか?

 

 

それが真実なのか?

 

 

きっと多くの場合、

 

 

そうである必要はないし、

 

 

仮に、そうである必要(メリット)があったとしても、

 

 

そのメリットを果たすために、

 

 

手段(ルート)を限定している必要があるのか?

 

 

そのメリットを果たすために、

 

 

他にもっといい方法はないのか?

 

 

そのあたりを検討してみると、

 

 

素敵な雛形や原形が見つかるかと思いますよ(^ ^)

 

 

 

 

 

 

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