憲法25条 | The life is time killing till I die.

憲法25条

すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

所謂生存権。


これって前からおかしいと思ってた。

そしたら昨日、日テレで生活保護法についてドキュメンタリーをやっていた。

テレビでは、生活保護を打ち切られ、数ヵ月後に餓死し、ミイラ化した遺体で見つかった京都の事件を皮切りに、要生活保護者の実情に触れていた。

生活保護費を削りたい行政と。


だいたい、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」っていうなら少なくともホームレスなんていないっしょ。

真性浮浪者は別として、望んでホームレスになる人なんていないでしょ。

って思ったので、憲法の教科書を引っ張り出してみた。


正直恥ずかしい話、僕は法学部であるにも関わらず、まったくといっていいほど法律のことをよくわかっていない。

単なる解釈論にすぎないことに反発を覚えた1年のときから、ずっと敬遠してきたために。

でも解釈次第で白も黒になりうる。


当然、理解に時間を要するような書き方で、教科書には説明がなされていた。

どうやら通説はプログラム規定説らしい。

要するに、別に生存権は生活弱者のためにあるのではなく、弱者を保護する立場である立法府のためにある法律、ということらしい。


じゃあ生活保護法に問題が?と思ってテレビをみていたら、どうやら行政が悪いように思えてきた。


生活保護を求めて役所に訪れる人に対して、けんもほろろに突き返していた。

中には受給資格を偽ってまで生活保護はできないという役人までいた。


確かに、行政の持つ金は一定だから、どうにか公共のため(自分のため?)に金を回したいってのはわかるけど、その状況がホームレスや孤独死を生み出している。

これは国も地方も言えることだ。

自分の立場でしかモノを考えていない。

小学校の頃から、相手の気持ちを考えようって先生が言ってきているはずなのに、上層部の顔色を窺ってばかり。


最近、貧富の差ってどんどん開いているって思っているが、こういうことなんだろうな。

社会が、富裕層に有利なように変えられていってる気がする。