みんな違って、みんないい | The life is time killing till I die.

みんな違って、みんないい

会話の端々に同意を求めるような発言をする人が気になってしまう。
「~じゃない?」とか、「~だよね?」という類の発言。

別に使うことを否定するわけじゃない。
僕自身全く使わないなんてことはありえないし。

ただ、妄りに使うこと、多用することに疑問を感じてならない。
「これって〇〇みたいだよね?」
「私って〇〇じゃないですか?」

特に「私って~」って、自覚していることなら疑問符付けるなよって思う。
知らないって言われるならまだしも、否定されたらどうすんの?

僕はそういう同意を求める発言に、自信のなさを感じてしまう。
詳しくいうと、「自分はこう思うんだけど、あなたもそう思ってるよね?」ということになる。
あたかも自分の意見は普通だよね?一般的だよね?多数派だよね?って確かめてるように聞こえてくる。

やっぱり人ってのはみんなと同じじゃなきゃ不安なのかな?
それとも日本人の特性だろうか?

各国の人を説得するのに、米英には、「フロンティアだから」や「紳士なんだから」というのに対し、日本人には「みんながそうするから」と言えばいいという例もあるくらい、日本人は他と同類でありたいと思っているようだ。
少なくともこれまでの日本は、小中学校では国語も数学も理科も社会も図工も音楽も人並みにできなくちゃダメみたいな平均教育がなされてきて、みんな同じがいいとされてきたから、普通、一般的であろうとすることにも納得できなくもない。

しかし個性の時代と言われる現在でも、普通であることを確認しようとしている。
むしろ同化と180度違う個性化に不安を感じるからこそ、しきりに同意を求めようとするのかもしれない。

でもそれは違うんじゃないかな。
僕は、やっぱり人はみんなそのバックグラウンドが違うわけだから、考え方も違って当然だと思う。
むしろ、その多様な考え方を受け入れるほうが賢い。
みんな違って当然なんだから、同意を求めず、自分の意見に自信を持ったほうがいい。
間違いなんてないんだから。