接する心 | The life is time killing till I die.

接する心

結局のところ、僕自身も多様なコミュニケーションツールを駆使して、他人とコミュニケーションを取っているわけなんだけれどね。

なんだかんだで、昨日も3時間程友達と電話をしてしまった。
話が途切れず、気が付いたら3時間経っていた。
長時間拘束してしまったにも関わらず、下らない僕の話に付き合ってくれて、本当に申し訳ないと思う。
ま、僕の金、基、親の金がドコモに垂れ流されていたわけだが。

コミュニケーションは、人間が持っている言葉や表情が禁止されるほど、相手の心情を察することが出来なくなる。
言葉と一言で言っても、そこには声色、音の高低、テンポ、抑揚といった様々な要素が含まれている。
表情と言ったって、目や目線、口といった筋肉の働きから、色や汗といった代謝機能が、相手の感情を伺う重要な要素だ。

中には巧く演技して、自分の本音を探られまいとする人もいるだろうが、幾分か演技の雰囲気を感じ取ることが出来るし、むしろ演じているということは、表面に出ている考えとは逆であると示しているに他ならないのでは?と思うが。

相手の思いを察するその点で、電話は、まだ救いがあるなと思った。
目は口ほどにものを言うと言われるように、心情を察するのに一番いい要素は表情や、それに付随する振舞いだと思う。
だが、声にはそれに近いものがある、そう感じた。

少なくとも、視覚的情報のみで構成されるメールとは、大きな隔たりがある。
メールとメールの間には、お互い関与できない不明な時間が存在し、その時間の中で自分の思いを、突発的ではなく、慎重に言葉を選んで表現することができる。
それでどこまで本心か分からなくなる。
それに、絵文字はあれど、表情はない。

そもそも、人間の感情を、十数パターンの顔文字で表現しようってこと自体おこがましい。
んなことが出来るならユングもフロイトも苦労しねえっての。

でも、電話は受話器を通して相手と同じ時間を共有しているし、一言一言の早さ、高低、抑揚、それに息遣いで気持ちを読み取ることができる。
地理的に同じ場ではないにしても、だ。

ただ現代の人間は人付き合いが苦手と言われている。
当たり前のはずの、コミュニケーション能力が、面接で重きを置かれているほどだからな。

確かに、僕もよく独りきりでいたくなるし、接することが億劫になることもある。

が、人が人と直接関わっていけるうちが大切、相手を思いやる気持ちがあるうちが大切、だと思う。

将来、完全に人と接することなく生活できるようになれば、とりあえず犯罪は増えるだろうな。
下手すりゃ戦争にもなりかねん。