変わらない中での変化 | The life is time killing till I die.

変わらない中での変化

友人、知人も含めた自分を取り巻く環境が変わるとは、一体どういうことなのか。
一見すると、恐怖さえ感じてしまうような状態に思える。

でもよくよく考えてみれば、人は自らその環境を変えてきた。
まぁ100%自分の意志で積極的に変えてきたわけじゃないけれど。

簡単に言えば、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人と、目まぐるしく人が身を置く環境は変わる。
義務教育から任意で学び、生きていくために職に就くって流れが作られているから。

とは言っても、昨日言ったような環境の変化と違うことは、すべて積み重ねであるということ。

保育園の友達も、幼稚園の友達も、小学校の友達も、中学校の友達も、高校の友達も、大学の友達も、付き合いの浅い深いはあれ、今でもみんな友達だ。
ま、俺の場合は保育園からの友達は、中学校までほぼ完全に変わってないけど。
中学校が町に一つしかなかったから。

うちの田舎では、進学や就職で上京するような人は少ないから、日常高校までの友達に会うことは滅多にない。
それに輪をかけるように、自分自身実家に帰ることも極めて稀だ。
それでも結構連絡とったりするし、遊んだりもする。

普段会うことがないからこそ、ふとしたときに友達の大切さに気付く、そんなこともあるだろう。

しかし、そんな関係も、無限ではない。
最近まで、そんなこと意識もしなかったけど、いろいろ考えさせられることがあった。

先月、高校の同級生が、バイク事故で亡くなったという話を聞いた。
まぁそれほど深い仲ではなかったけれど、あんまり急なもんで、ショックを受けた。

自分自身、未来は希望に満ち溢れているとか思っていたけれど、確実に生命は有限で、いつ何があって死ぬかもわからないってことに気付かされた。

もう一つ、地元の友人で、死にたいとぼやいているヤツがいるらしい。
恋愛で傷ついて、人生に目標もなく、生きる意味を見失っているのだという。

それは間違っているんじゃないの?って思うけど、どうだろうか。

もともと有限の生命を、無碍に捨てるようなことはしないでほしい。
辛くたって、死ぬことは逃げることだと俺は思う。