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パブリックなシーンでは、追悼の意味で
言葉としての「不謹慎」は必要かもしれませんが、
それをプライベートにまで押し込んでゆくのは、
どこかしら「全体(国家)主義」な匂いを感じる私です。
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たしかに、被災地に想いを馳せることは大事。
だけど、それを支えてゆくはずの私たちまでが、
楽しみを自らの手で退けて、気持ちを"暗"に
するのはどうかと思います。
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復興には、かなりの時間が掛かるでしょう。
普段通りになるまで、ずっと「不謹慎」を掲げて、
窮乏生活を続けていては、気持ちがパンクして
しまうと思いませんか。
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被災地の方々のサポートをしつつ、
笑顔になれることもイッパイ楽しんでいくほうが、
私たち、人間の自然な生き方だと思いますよ。
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私には「不謹慎」よりも、むしろ「風化」という
コトバのほうがよっぽど怖いですね。
あなたは、どう思われますか?
今日も、よい一日になりますように。
(ende.)
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Special Thanks: りっつさま.
ブログ:"りっつのブログ" by りっつさま
記事:「「不謹慎」について。」2011-03-22 15:16:20
http://ameblo.jp/sukisukiitigodaisuki/entry-10837823424.html
