Ms.Violinistのひとりごと-カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記
(2010年(平成22年)12月26日(月):毎日新聞(朝刊))
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『カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記
(上・下)』アレクサンダー・ヴェルナー/著
喜多尾道冬、広瀬大輔/共訳、音楽之友社・各3,990円

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父親が同業者として偉大な存在であることは、
息子をずいぶん複雑な気持にさせるだろう。
一般的に小説家の息子が小説家になりたがらないのは
もっともなことだと思う。

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指揮者カルロス・クライバーの父エーリヒ・クライバーは
20世紀を代表する指揮者の一人で、カルロスが褒める同業者は、
この伝記の著者によると、父とカラヤンだけであった。
楽壇が息子をいちいち父と比較することは想像するまでもない。
エルヴィン・リングルというウィーンの精神科医
(主治医ではなく友人)の夫人は語る。
「彼にとって彼の父は模範で、同時にまたつまずきの石でも
ありました。彼は父を音楽に関しては超えられませんでした。
彼は指揮している間は我を忘れることができました。
でも指揮するという意識が彼にとって苦痛の種で、
指揮する前も後も苦しみました。カルロス・クライバーは
その天才性のゆえに悲劇の人となったのです」

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カルロスは絶大な才能を認められ、途方もない人気を博しながら、
めったに棒を振らなかった。交渉に応ぜず、契約を嫌い、
たとえ承諾してもしょっちゅうキャンセルした。
ベルリン・フィルは彼がカラヤンの後任として
首席指揮者になることを熱望したが、その努力は徒労に終った。
レパートリーはすくないし、録音や録画はたいてい拒否し、
あるいはその発売を許さなかった。
変人だとか怠け者だとか幼児的だとか、悪口は絶えなかったが、
当人は平気だった。
彼の生き方は世界の謎で、2004年に亡くなった後も
謎でありつづけている。

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ヴェルナーの大著は彼の魅力について語ることと
この謎を解くことを主題としているらしいが、
前者はともかく、後者については高く評価することができない。
概して言えば父との関係で解釈しようとしているが、
切れ味は鈍く、説得力に乏しい。

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エーリヒは息子を愛し、その音楽的才能を認めていたが、
仕事としての音楽のつらさを知りつくしていたせいか、
指揮者という職業を選ぶことを思いとどまらせようとした。
息子ははじめ化学者としての道を進ませられた。
音楽を学ぶことは、化学の学校教育を終えてから敢えて志望し
許された。
彼は、父の書き込みのある楽譜を常に参照し、父の指揮ぶりを
見習った。父と同様、妥協を嫌い、完璧主義者だった。
しかしそれと同時に、彼は常に新しい解釈を欲した。
この、父への敬服と新解釈とを両立させることは極めて難しい。
これではおかしなことになるのも無理はない。

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このクライバー伝は一種のタレント本で、おもしろい逸話や
内幕話が満載してあるが、大事な局面が一つ書き落してある。
吉田秀和は『世界の指揮者』(ちくま文庫)の彼を扱った章で
「最もフォトジェーヌな(写真映りの良い、また映像になって、
はじめてその人の芸術が全面的に明らかになる)音楽家」
として、ピアニストのグレン・グールド、ソプラノ歌手
のジェシー・ノーマンと共にカルロス・クライバーをあげた。
しかしこの本は彼の指揮姿の美しさに言及していないし、
カルロス自身がそのことをどう意識していたかにも
もちろん触れていないし、さらに、父エーリヒの容姿についても
述べていない。

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私は、ひょっとすると息子は、自分の名声や人気は
写真写りの良さによるものが大きく、父は純粋に音楽的に
偉大だったと考えてひがんでいたのではないか、
と邪推してみる。
こういう推測もまた夢中になってタレント本を読む
オタク的読書の楽しみの一つではないだろうか。
(ende.)

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