
(2010年(平成22年)12月9日(木):毎日新聞(朝刊))
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1人暮らしの高齢者にとって、孤独感や病気への不安に
どう対処するかは大きな課題だ。
フランスの高齢女性は今、自主管理の老人ホーム建設を通して、
新しい人間の「連帯」を模索し始めているという。
フランス文学者で、ジェンダーの視点からこの動きに注目する
上村くにこ・甲南大学教授に寄稿してもらった。
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フランスで今、高齢者が自分たちで運営する
「自主管理の老人ホーム」を作る動きがあり、注目を浴びている。
フランスの個人主義は介護面でも徹底していて、
高齢者は施設に入るより独居を選ぶ。
2005年の統計によれば、75歳以上の女性の48%が独居で、
行政も多様な独居者支援策を模索してきた。
だがまだ十分とは言えない。
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2003年、酷暑がフランスを襲い、
1万5,000人が熱中症で亡くなったが、そのうちのほとんどが
80歳以上の独居高齢者だった。家族の引き取りが遅れ、
遺体の山が冷凍トラックに収容される光景は衝撃的であった。
この反省から、血縁のない三世代が同居したり、
高齢者を家族として受け入れるといったボランティア活動が
生まれた。
「自主管理のホーム」の考え方は、ここからもう一歩進み、
連帯のパワーによって、逆に高齢者の方から社会に積極的に
働きかけようというものである。
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運動を進めているのは、テレーズ・クレルク(83)。
普通の主婦だったが、1968年に学生や労働者を中心に起こった
社会改革運動で古い価値観が崩れるのを目の当たりにし、
筋金入りのフェミニスト労働者となった。
10年前に、こんな家を作ろうと仲間の女性たちや行政に働きかけ、
ついにパリ郊外のモントルゥイユ市に、6階建ての老人ホームを
着工するまでにこぎつけた。
名称は「バーバ・ヤーガの家」で、完成予定は2010年だという。
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バーバ・ヤーガとは、鶏の足の生えたお菓子の家に住むロシアの
魔法使いのおばあさんの名。子供たちがやってきて、
お話を聞きながら家を全部食べてしまったので、怒った魔女は
子供たちを食べてしまったという伝説がある。
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この家は、高齢者だけのものではない。市民としての高齢者は、
あらゆる人々、特に若い人や子供を援助し、
環境に配慮した生活をすることをスローガンに掲げている。
子供を食べてしまうというネガティブな結末を逆手にとって、
高齢者ならではの知恵で人々を助ける幸福な老人を作りだそうという
社会改革的な運動と言えよう。
1階部分は市民に開かれ、身体ケア、セラピーなどを展開するほか
「老いの知恵を学ぶ大学」を開く準備もしている。
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入居料は、日本円で月に2万円余りと非常に安い。
市の援助もあるし、職員を雇わず互いに介護し合うのが
原則だからだ。
入居申し込みは既に定員の3倍を超えたと聞く。
ここに住む「魔女」たちは、頭も体も活発で多忙な生活を
送ることになろう。
自主管理の強い意志を持ちながら、会議に責任を持って参加する。
自身の弱った部分は仲間に助けられながら、
同時に他者をできる範囲で援助する。
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パリから離れたブレストやトゥルーズでもバーバ・ヤーガの家を
作りたいという女性たちが動き出している。
ただ一つ気になるのは、医療との連携がないという点だ。
相互介護を原則にするのはよいが、
医療面の援助があればもっといいと思う。
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日本もフランスと同様の問題を抱えている。
独居の高齢者は増える一方で「ご近所」との連帯が模索されている。
近代的で高価なホームばかりが増えても、連帯の可能性が見えず、
閉塞感は増すばかりだ。
ここで元気な高齢者の知恵を活性化して、
バーバ・ヤーガのような家ができないものだろうか。
(ende.)
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Special Thanks:Ms.Violinist.
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