
(2010年(平成22年)11月27日(土):毎日新聞(朝刊))
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昔からぼくは、学校大好き人間だったんですよ。
小学校のころから、たったの一日も嫌いになった
ことはない。学校ほど面白いところはないと思って
いました。
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小学校は水戸市にある茨城大付属小でした。
当時は1学年1学級で、6年間ずっと同じ顔ぶれで、
同級生の兄弟・姉妹も同じ学校にいることが多かった。
まるで学校全体が大きな家族のようでしたね。
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大勢の先生に出会いましたが、中でも音楽の荒和一先生は、
ぼくをとてもかわいがってくれました。
ピアノの連弾をよく一緒にしてくれて、3年生なのに、
本来は4年生からのクラブ活動に、合唱のビアノ伴奏役として
スカウトしてくれました。家も近所だったので、映画を見に
連れていってくれたり、一緒に食事をしたりもしました。
今ならえこひいきだと批判されるかもしれませんが、
当時は誰もそんなこと言いませんでしたね。
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荒先生とは、教師と教え子というよりも、むしろ音楽を通した
友だちのような付き合いでした。
音楽を一緒に感じられれば、誰とでも友だちになれる。
そう教えてくれたように思います。
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印象に残っている先生はもう1人。田尻史朗先生です。
確か、3年生から6年生までの4年間、担任でした。
毎朝、その日の新間のコラムを児童に読ませて
「どう思う?」って聞くんです。
そしてみんなで内容を討議する。今のぼくが文章を書いたり、
人前でものをしゃべったりする素地は、
この時にはぐくまれたと言えるでしょう。
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思えばこのころは野球に相撲、けんかと大暴れして、
よくけがで外科に通いました。
でも、親もぼくも、学校に責任があるなんて、かけらも
考えませんでした。時代がそうだったのかもしれないけれど、
自分のしたことは自分で責任を負うくせがついていました。
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ひるがえって、今は何かあると、
まず学校は何をしているのかが問われますね。
もちろん、学校に責任があるケースもあるでしょう。
でも、子どもは学校に育てられるだけでなく、
親もかかわる中で自分自身が育っていく存在です。
そのことを忘れてほしくありません。
(ende.)
