
(2010年(平成22年)10月30日(金):毎日新聞(朝刊))
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今春まで小学校の教師として教壇に立ちました。
教育に関心を持つようになったのは、2003年から
2004年に長崎で相次いだ少年事件がきっかけです。
メディアは「犯罪の低年齢化」ばかり強調していました。
でも僕は加害者もきっと何らかのSOSを発していたはずで、
それに気付いて軌道修正できなかった周囲の大入の責任も
考えるべきではないかと思ったのです。
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教員免許を取るために入り直した2度目の大学生活は、
初めて「学びたい」という明確な意思を持って勉強した
2年間でした。
一方で、障害がある僕が教師になったら子どもたちに迷惑を
かけないだろうか、という不安もありました。
それを払しょくしてくれたのが、小学校時代の恩師、
高木悦男先生です。
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先生には1年生から4年生まで担任をしていただきました。
非常に厳しい方で、障害があるからといって
特別扱いしませんでした。
でもそのお陰で、1人で階段を上がれるようにもなりました。
その高木先生が僕の教育実習を見に来て、
「教育というのは最後は人間性だから」と
励ましてくださいました。
確かに僕には物理的にできないことがたくさんあります。
だから「最後は人間性」という言葉に救われました。
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教師初日、
「手足がないのでできないことがいっぱいあります」と
あいさつしました。
教師が子どもたちに弱点をさらけ出すのは
よくないそうですが、僕だからこそ伝えられることもあると
思ったのです。
例えば僕は給食の牛乳キャップを開けられません。
最初は介助員に頼んでいましたが、
いつの間にか誰かが開けでくれているようになりました。
やがて、子どもたち同士も困っている時には
互いに助け合うクラスになりました。
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かつて城島健司選手にインタビューしたことがあります。
城島選手は「悪い捕手は細かいコントロールばかり要求するため、
投手が縮こまって思い切りよく投げられなくなる」
と話していました。
教師も同じで、「先生がどんと受け止めてあげる」と
いうくらいの方が、子どもたちも生き生きとします。
3年間の教師生活でそれを実感しました。
(ende.)
