
(2010年(平成22年)9月16日(木):毎日新聞(朝刊))
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「103歳、声楽家」というおばあさまが大阪市内でご健在だ。
どんな暮らしをなさっておられるのだろう。
高齢不明者が次々明るみに出る中、今日は敬老の日。
元気なおばあさまに、生きる教えを請いたい。
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「どうぞ。暑かったしょー?」。
先にいたわられてしまった。
大阪市内のマンションの一室に住む嘉納愛子先生。
薄手のプラウスに白のパンツスタイル。
背筋はしゃんとし、100歳を超えるご長寿とは見えない。
「5月に気管支炎になってね。治るのに1年かかるんですって。
ま、気長にいきますわ」。
悠然とした構えに、スケールの違いを感じた。
でも「補聴器に、白内障のレンズ、入れ歯……。
文明の利器で生きてますねん」とあけっぴろげで気取らない言葉に、
雲の上の人ではない、とおしゃべりがはずんでいく。
1907(明治40)年、大阪市生まれ。
東京音楽学校(現・東京芸大)卒業後。
山田耕作に師事し、メゾソプラノ歌手として活動。
相愛大や大阪芸術大などで教授を務め、78歳まで教壇に立ち、
今も教え子らが指導を受けに訪ねてくる。
一人息子さんを11歳で亡くし、
40代で旦那様に先立たれてから1人暮らしだったが、
96歳のころ体調を崩して一時入院。
それ以来、ヘルパーさんが同居する。
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「いたってご飯おいしいです。おいしいもの食べるのが
一番好きな時間」。朝食は、食パン半枚に、ユズ、イチゴなど
4、5種類のジャムを少しずつ付けて楽しむ。
コーヒー、紅茶は「体によくない」と8年ほど前から飲まなくなり、
3食ともほうじ茶。
昼と夜は、ご飯150gずつに、おかず4、5品。好きな牛肉の時は200g。
「長生きするはずやね、こんなに食べてたら」と、
世間で言う"粗食の勧め"など気にしてなさそう。
体操も欠かさず1日20分。
「嘉納式体操よ」と前屈、背伸び、足たたき、
「もも上げは……」と足を上げ始めた。よく上がること!
連続50回を2セットこなす。
長い人生、嫌なこともあっただろう。
「済んだこと、くよくよしませんねん。
5万円落としたら惜しいと思うでしょ? でもね、
『あー10万円でなくてよかった』と思ったらしまい」。
大いに学びたい。
「毎日感謝しています。ヘルパーさんが来てくれること、
働いてくれること。一日が終わると『今日も無事に終わった』
と感謝します」
※(Photo Copyright by Mainichi-ShinbunSya 2010.)

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好奇心も旺盛。朝は1時間半、新聞を読む。
テレビはニュースやスポーツ観戦が好きで、野球、相撲、
Jリーグの選手名も詳しい。
カタカナ語など分からない言葉は、字が大きい電子辞書で調べる。
朝晩のお肌の手入れも、外出前の服選びも手を抜かない。
「生きている以上、だらしないのはイヤ」との思い。
「それにね、老人が汚くなったら、放られると思うの……」。
ふと寂しい響きを感じた。
高齢不明者の問題をどう思っておられるだろう。
「こんな情けない時代、ないと思う」と嘆いた。
「自分だけよかったらいい。ひとっつも人のこと考えないのね。
変な世の中になってきました」
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嘉納先生のエネルギーを強く感じたのは、お歌のレッスンの時だ。
生徒さんの横で、腕をしならせながら振り、
堂々とした歌声を響かせた。
「自分の心にお話を描いて」。
その表情は厳しい。
指導を受けた西尾有加さん(35)は
「先生のようにずっと歌い続けたいです」。
ピアノ伴奏の今丼順子さん(31)も
「先生のお声にパワーをいただく気分。立ち居振る舞いも
すてきです」と魅力を語った。
お話の最後、嘉納先生が口にしたのはやはり感謝の言葉だった。
「歌好きに生んでくれた両親に感謝してます。
ここまで生きたら、普通なら退屈で、寝てばっかりいると思う。
でも私は、歌わなあかん曲がまだたくさんあるの。
歌はね、10代でも50代でも歌えて、
年齢によって感じる詩の心があるのよ」
ユーモアと純粋な心で、周囲も明るくする方だ。
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パワフルでユーモア溢れる嘉納愛子先生。
私には、学ぶことは音楽だけではない気がする。
「よく食べ歩き、歌を楽しむ」ことこそが大事なんだね。
どうぞ、これからもお元気でご活躍なさってくださいませ。
今日も、よい一日になりますように。
(ende.)
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Special Thanks:Ms.Violinist.
The author is "Ms.Composer."
The verification is "Ms.Composer."
