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「まだ、たどたどしいですが、今日は右手も使ってみます」。
ピアノ・リサイタルでのアンコールで"左手のピアニスト"は
右手を躍らせた。清らかな3分弱の小品。
精いっぱいの表現に大きな拍手がわき、涙する聴衆も。
演奏後、フィンランド人の奥様が楽屋で顔を合わすなり言った。
「あなたは詐欺師よ。こっそり練習してたのね。」
その目からは、ぼろぽろと涙があふれていました。
脳温血で倒れたのは2002年1月のこと。
演奏会のステージ上でした。
右半身が不自由になり、2カ月の入院生活。
退院後は毎日1時間、右手の練習に取り組んでおられた。
「自然な位置がとれず、ちっとも良くならない。
左手ならいい音が出て、すぐに音楽の世界へ入れる。
そのうち右手のことは忘れてしまった。」
2004年5月、「左手のピアニスト」として復帰。
プラームスやラベルらが
戦争で負傷したピアニストたちのために書いた曲を弾く。
吉松隆先生ら日本の作曲家も左手のための新譜を寄せる。
演奏会を重ねるうち、右手の感覚が戻ってくるのを感じたと。
左手の運動が好影響を与え、音楽の喜びを相まって
動かないはずの右手に活力をもたらしたのだろうか。
「音楽をするのに右手が絶対必要とは思わない。
でも、右手で出来たんだ、じゃあもうちょっと…。
そういうのも楽しい」と、舘野先生は笑われた。
(ende.)
