Ms.Violinistのひとりごと-千疋屋 銀座総本店
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この夏のスイカの食べ納めをしようとフルーツ屋さんに
お買い物に行ったら、もう丸ごとのスイカの姿はなく、
代わってぶどうや梨が並んでいた。
「丸ごとスイカ」を抱えて豪快に食べようとしていた
私のワクワク気分は削がれてしまったけれど、
季節が確かに動いていくのを実感しました。

国内産のフルーツは高いなあ、と一瞬たじろぐけれど、
この季節しか手に入らないと思うと見すごすことができない。
お財布を黙らせても、私は食い意地には勝てないのだ。
その一方で「旬」がまだ日本に残っていてよかったなあ、
などと思ったりする私がいる。

国内産以外にも、ずっとリーズナブルな輸入品がある。
世界中から輸入される果物は、いつもかわらず店頭に
並んでいるが、私の心が動くのは「旬」の食べ物。

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ところで、私たちが意識せずに使っているこの「旬」という
言葉からはヒトを指して使う場合、
ブレークしているタレントや、ファッションリーダーにも
今「旬」の人というような使い方をする。
私はこれには違和感を覚える。
これでは、ヒトがフルーツみたいじゃない。

辞書を調べると「旬」には以下の意味があることが分かる。
①魚介類・野菜などが出盛りで最も美味な時期。
②物事を行うのに最適の時期。季節的に最盛である時期。

日常の中で私たちが使う「旬」の意味は、①が圧倒的に多い。
そして、ヒトを指した場合には②の意味だと合点がいく。

Ms.Violinistのひとりごと-ぶどうとなしのお皿 千疋屋
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私たちはみんな、年を重ねていく。
生きて行くなかで、自分の心からか、他人の口からか
漏れ聞こえてくる「年甲斐もなく」「いい年をして」という言葉。
この言葉を浴びる度に、若い頃に感じた心ときめく感動が
段々と遠のいてしまう気がする。

いつしか心の深いところ、沈殿したオリのように、
「自分はもう『旬』ではない」という想いが溜まっていく。

だけど、その後ろ向きな考えに私は首を縦に振りたくはない。
だって、若い頃には感じ取れなかった人生のリアルなドラマは、
人生の季節をいくつも経てこなければ分からないものだし、
お洋服や発する言葉さえも、年を重ねてこそ似合うものがある。

大事なのは年齢ではない。
「どのように生きて来たか」ではないだろうか。
だとしたら、過ぎた日々にやり残したことを後悔するのでなく、
「今の年齢でこそ出来ることにチャレンジする」ことが
大事だと私は思う。人生は一回キリだし、その時々を
「笑顔と知恵で生きてきたヒトが幸せなんだと思うから。」

どうか、あなたの「旬」をみつけてくださいませ。


今日も、よい一日になりますように。
(ende.)

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