Ms.Violinistのひとりごと-ハンス・フォン・ビューロー
*
「三大B」とは
バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの頭文字Bが付いている
ドイツの三人の大作曲家の意味。
この言葉はハンス・フォン・ビューロー(1830~94)が、
ブラームスの作品をPRする上で使用したのが始まり。

*
ビューローはライプッィヒ大学で法律を学んだ人物だが、
余暇に学んだ音楽を専門にし演奏や教育に貢献した。
ピアノは9歳からヴィークに習い、先生のヴィークは
娘クララを大ピアニストに育て上げ、またシューマンにもピアノを教え、
後に娘クララはシューマンと結婚している。

ビューローは、このほか和声法、対位法を学び、
ワーグナーの音楽に共感を抱き、音楽の道へと専念した。
指揮法をワーダナーに習い、ピアノ奏法を巨匠リストから修得、
ピアニスト兼指揮者として彼は活躍したのである。

Ms.Violinistのひとりごと-ワーグナー CD
*
1857年ビューローはリストの娘コジマと結婚し、
ワーグナーの作品を初演したりして、彼のために献身的に尽すが、
彼の真直ぐで親切な性格から、
ワーグナーを自分の私邸で生活させたりした善意が裏目に出て
1869年にコジマと離婚、彼女はワーグナと再婚をしてしまう。

ビューローは心痛から逃れるため一時的にフィレンツェヘ移るが、
再び祖国ドイツヘ戻った。
この一連の経緯から彼は、
ワーグナーの新ドイツ音楽運動に背を向け、
新古典派の熱烈な支持者となる。

Ms.Violinistのひとりごと-ブラームス
*
ベルリン・フィルの指揮者となった彼は、
特にブラームスの作品のために
ワーグナーに対する献身と等しい努力をし、
彼はブラームスの作品を広く世に知らせるために、
優秀なオーケストラと一緒に演奏旅行を計画して実行した。

ビューローは演奏会が始まる前のステージで、
いつも長大な演説をする習慣で有名であった。

彼はブラームスの第1、第2の交響曲が、
ベートーヴェンの9曲の交響曲と同質の作品であると述べ、
ブラームスの交響曲を第10、第11交響曲とも呼んでいた。
ブラームスは、この攻撃的な演説を嫌うが、
それに続く演奏が見事なので常に喜んでいたらしい。

「三大B」の言葉もビューローが、
この演説でブラームスの作品をPRするために考え出し、
今日に至ったのである。

Ms.Violinistのひとりごと-R-シュトラウス
*
ビューローのもとで合唱指揮者をしていたリヒターも、
ブラームスの第2、第3交響曲の初演を務めた指揮者で、
リヒターは第2を「田園」、第3を「英雄」と呼んだ。

彼も、やはりベートーヴェンの交響曲の標題を借りて、
プラームスの交響曲の雰囲気を表現している。

*
R.シュトラウスはビューローから指揮法を学んだ
弟子の一人だが、ブラームスを「三大B」という
神がかりのきまり文句で、流行させたのはビューローの
悪い冗談であると断言し、また、ブラームスの作品は
品位、誠実さと学識を具えているものの冷たく古典派の模倣で、
彼をあんなに称揚するのは馬鹿げていると厳しく批判している。

(Ende.ドイツ三大Bを流行らせたのは? Aug 20, 2010)
The author is "Ms.Composer."
The verification is "Ms.Composer."

人気ブログランキングへ