
埼玉県芸術文化振興財団とシアターコクーンの
芸術監督を務められる演出家の蜷川幸雄氏。
厳しい指導で、怖れられる蜷川哲学に隠された
周囲への細やかな気配りと、的確な人間観察が見た
現代社会と自身の幸せのあり方について聞いてみた。
#
「最近の生活で気になったことはありますか。」
昨日の夕方、家族が仕事でいなかったから、
晩ご飯のおかずを買いに出たんですね。
商店街を抜けて駅にたどりついたら、
70歳ぐらいの男性がトラックで野菜を売る露店の人を
怒鳴りまくっていた。
「お前、何で売っているんだ。ここは鉄道の敷地だろ」と。
確かに露店の人は売るべきでない場所で売っていたけど、
男性は駅員を呼び、その場所から排除させようとまで
していました。
僕は「男性の言い分は正しいのかもしれないけど、
ものの言い方が問題だし、生活する人が少しぐらい
越境したっていいじゃない」と思った。
怒鳴っていた男性は本当にギスギスして、不幸な人だなと。
やはり社会が安心して老いを迎えられるようになっていない。
年金などの社会保障も含めて、老いることにもっと寛容になれば、
男性もあれほどギスギスしなくていいんじゃないかな。
これほど不寛容な社会はいびつだよ。
#
「蜷川さんはご自身に対して老害や老境という言葉を使われます。」
年をとると自分の意思とはかかわりなく権威化されることもある。
そもそも演出家は配役など選択する役割を持っているので、
放っておいても権威がついてしまいます。
年をとった人にはいろんなことを見通せる良さもあるけど、
若者の進路をふさいでいる場合もある。
僕の経験上、若者にどういう場を用意したらいいか
分かっているので、僕は今のうちにその場をつくっている。
僕のような年寄りの権威はいつでもチャラにしていいんだから。

#
「普段の暮らしの中で好きな時間はありますか。」
年をとってくると、晴れた日の朝って気持ちいいんですよ。
若い時はそんなこと思いもしなかった。
朝、カーテンと窓を開けると、きれいな空気がすうっと
部屋の中に入ってくる。
「ああ、いいなあ」って思う。
あの気持ちの良さは何だろうね。つまらないことかもしれないけど、
そんな日の朝には希望があったり、未来が明るいような気がする。
買い物客でいっぱいになっている夕暮れの商店街も好きだね。
わいわい、がやがやと。
キューポラの街、埼玉・川口で育ったからかな。
川口の街を歩けば、元気かい? どうしてる? と、
みんなが声をかけ合う。街全体が長屋みたいなものだから。
何も心配することはないんだよな。
そんな夕暮れは、しみじみとこう思える。
大きな悩みを抱えていると、朝の光や夕暮れの穏やかな光景にも
幸せは感じることができない。
幸福感って2、3分で過ぎ去る小さなやすらぎのことを
言うんだろうね。
やすらぎを感じるあの瞬間を幸福というんだなと思う。
何の抑圧も感じず、何の心配もない瞬間。
こう思える瞬間が増えていくことが幸せだと思います。

#
「冒頭の3分間で客をのせられない芝居は芝居でない、と
言い続けられています。」
生活者の日常生活って重いんだよね。
みんな楽しいことも嫌なこともある千差万別の生活をしている。
その生活者を3分間で一挙に劇の世界に引き込むのが
プロとして当然の心構え。
日常の生活から劇場という非日常の空間に着くまで、
例えば観客が駅からどんな道を歩いて来るかも考えて
準備することが我々の仕事だと思う。
今は芝居の世界にすぐ入っていけないものが多い。
そんな芝居をつくる人はチケットを買った人の気持ちが
分からないんだろうね。
ある日、ある時間、あの劇場に行くと決めて人はチケットを買う。
その人たちは、この演目を見たい、この俳優を見たいと、
いろんな欲望を抱えて劇場に来る。
芝居はテレビのように家で見られないし、映画のように
いろんな映画館でやってないし、インターネットのように
パソコンがあればどこでも見られるものではない。
芝居という不自由なメディアの能力に見合っただけの
中身を備えるべきだと思います。
#
「灰皿を投げる怖い演出家と言われ、
ある対談では「人間を好きにも嫌いにもなる」と
話していました。」
芝居は人と人とが直接つくり上げる現場です。
人と人の間に原稿用紙や楽器があるわけでもない。
だから、人とのコミュニケーションがうまくいかないと、
舞台はめちゃくちゃになる。
僕の演出家という仕事は、80%が人と
どううまくコミュニケーションをとるか。
俳優やスタッフには高いハードルを設定し、
追い立てなければならない。
だけど、ちょっとした言葉で人を傷つけてしまう。
かといって、言わないと分からない。
僕は大事な花を育てるようにコミュニケーションしている。
灰皿を投げても、その人の体にぶつけないように
足元に投げていたし(笑い)。
そんなことを繰り返しながら舞台がうまくいった時には、
「ああ、人間っていいなあ」と思う。
でも、うまくいかなかったら、
「人と付き合う仕事なんか二度としたくない。
一人でものをつくる仕事だったら、どんなに楽だろう」と
思ってしまう。
芝居には俳優やスタッフ、照明家、装置家など
かかわる人がたくさんいる。
今はみんながイメージや工夫を持ち寄って、
僕がつくりたい芝居ができあがる。
サッカーの試合と同じで誰かがゴールするために
遠くでいろんな仕掛けがある。
ストライカーだけがスターじゃない。
最近は人や集団への信頼があるので、
「おれは幸せな演出家だな」と感じる時があります。
(ende.)
