Ms.Violinistのひとりごと-ハイジ博物館 案内看板
















今から30余年前の1974年当時、小学生だった皆様は、
日曜の夜7時半が待ち遠しかったのではないだろうか。
「今週はハイジの身にどんなことが起きるだろう。」
子ども達は、みんなで自分のことのように心配し、
テレビの前で応援したはずだ。

Ms.Violinistのひとりごと-ハイジ博物館 ダイニング








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アニメ「アルプスの少女ハイジ」。
私はDVDで鑑賞した。

ハイジがフランクフルトに連れて行かれ、ホームシックで
夢遊病になったお話では、ハイジがかわいそうで涙が出た。
足の不自由なクララが立った時はうれしくて一緒に泣いた。
初回放送から30年以上たったも、再放送され、DVDが売れるのは、
心に訴える普遍的なドラマが詰まっているからに違いない。
ヨーロッパなどでも放送され、世界で愛されている。

Ms.Violinistのひとりごと-ハイジ博物館 チーズ
















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「'73年7月メーンスタッフがスイスにロケハンに行きました。
テレビアニメーションとしては初の試みです。
今にして思えば、それがいい結果を生んだ。
モデルとなった山小屋など実際の建物やそこに暮らす人々を見て、
おおいに参考になりました」。
そう話すのはキャラクターをデザインした小田部羊二さん(73)だ。

メンバーの中には演出家の高畑勲さん、
場面設定の責任者である宮崎駿さんがいた。
実はこの3人はあるアニメーション製作会社の元同僚。
高畑さんに誘われ、そろって「ハイジのアニメ化」を
企画した別の会社(瑞鷹エンタープライズ)に移籍した。
後に日本のアニメを引っ張る逸材がハイジに集結していたのだ。

「あのころのアニメーションは原作のある漫画映画が
ほとんどでした。しかし、ハイジはヨハンナ・シュピリの
原作小説の通りではありません。
丸ごとその世界を絵にしなければならなかったんですね。
もちろん想像なんだけれど、その世界ならではのリアリティ、
何か生きたものに感じさせる世界を作り出そうとしたのです」。
と小田部さんは語る。

最初、三つ編みのハイジをデザインした。
しかし、5歳のハイジが毎朝自分で編めただろうか。
ロケで訪れたシュピリ文書館の館長からも
「おじいさんが編むとは思えない」と指摘され、短髪に変えた。
それでも、高畑さんはなかなか「OK」を出してくれない。
逆に僕に高畑さんが注文をつけてきた。
『おじいさんをまっすぐ見つめている顔を描いてほしい』と。
「僕はそれまで目をちょっとそらして
可愛らしく見えるように描いていた。
"ああ、ハイジはそういう性格の子なんだ"と気づいたんです」。

振り向くシーン一つでも、
「もっとゆっくり」などと注文がつき、やり直した。
アルムの山の美しい自然は宮崎さんが作り出した。
現地では一切スケッチせず、見てきたものを頭の中で総合したという。
とろけるチーズやふかふかの干し草のベッドなど、
生活の一つ一つが丁寧に描かれた。

1話で使われた動画は約8,000枚。
帰宅する間も惜しんで原画と動画のチェックが繰り返された。
「あのころはこんなに長く見てもらえるとは想像もしませんでした。
ただ、いいものを作りたい。みんなそれだけを思っていました」
と小田部さんは振り返った。

Ms.Violinistのひとりごと-ハイジ博物館 ハイジ寝室









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アルプスの少女ハイジ:
1974年の1年間にわたり、フジテレビ系で52話が放送された。
最高視聴率26.9%(ビデオリサーチ調べ(関東地区)。
名作児童文学が次々とアニメ化されるきっかけとなった。

☆小田部羊一さんが描くハイジの原画展が
東京の丸善・丸の内本店の4階ギャラリーで
7月28日から8月3日まで開かれる。
(ende.)

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