「J.ハイドンとW.A.モーツァルトの活動期間」について
J.ハイドンとモーツァルトとの年齢の差を超えて
お互いの音楽的技量と才能を尊重しあった事は、
伝記ではなく、事実として認識されています。
J.ハイドンの弦楽四重奏曲での技法を取り込んだ
弦楽四重奏曲の一群「ハイドン・セット」をW.A.モーツァルトが
J.ハイドンに献呈したり、W.A.モーツァルトの後期の
優れた交響曲にJ.ハイドンが刺激を受けています。
さて、ここでQuestionです。
J.ハイドンとW.A.モーツァルトの交響曲作品を
作曲年の「古い順」で並べた時、正しいのはどれでしょうか。
次の中から選んでください。
(記号)
A:J.ハイドン「交響曲第45番 嬰ヘ短調『告別』」
B:J.ハイドン「交響曲第94番 ト長調『驚愕』」
C:W.A.モーツァルト「交響曲第36番 ハ長調『リンツ』」
D:W.A.モーツァルト「交響曲第41番 ハ長調『ジュピター』」
(1)A、B、C、D
(2)A、C、B、D
(3)A、C、D、B
(4)A、D、C、B

それは
(3)「A、C、D、B」です。
記号を作曲年順の古い順に並べると下記のとおりです。
A:J.ハイドン「交響曲 第45番 嬰ヘ短調『告別』」
(1772年作曲)
C:W.A.モーツァルト「交響曲第36番 ハ長調『リンツ』」
(1783年作曲)
D:W.A.モーツァルト「交響曲第41番 ハ長調 『ジュピター』」
(1788年作曲)
B:J.ハイドン「交響曲第94番 ト長調『驚愕』」
(1791年作曲)
ちなみに各々の交響曲第1番の作曲年は、
J.ハイドンが1757年で、W.A.モーツァルトは1764年です。
J.ハイドンの代表作となる交響曲の一群『ザロモン・セット』の
ひとつ「交響曲第100番 ト長調『軍隊』」が1794年作曲で、
この後にまだJ.ハイドンは、交響曲を104番まで生み出すのです。
1791年にモーツァルト(1756-1791)が没していますから、
J.ハイドンの活動年代にモーツァルトの人生が丸ごと入ってしまう。
これはこれで、私的には新発見!! である。(苦笑)

(Ende.オーケストラの舞台裏
…名曲のナイショ話(第5夜) July 9, 2010)
The author is "Ms.Violinist."
The verification is "Ms.Composer."

J.ハイドンとモーツァルトとの年齢の差を超えて
お互いの音楽的技量と才能を尊重しあった事は、
伝記ではなく、事実として認識されています。
J.ハイドンの弦楽四重奏曲での技法を取り込んだ
弦楽四重奏曲の一群「ハイドン・セット」をW.A.モーツァルトが
J.ハイドンに献呈したり、W.A.モーツァルトの後期の
優れた交響曲にJ.ハイドンが刺激を受けています。
さて、ここでQuestionです。
J.ハイドンとW.A.モーツァルトの交響曲作品を
作曲年の「古い順」で並べた時、正しいのはどれでしょうか。
次の中から選んでください。
(記号)
A:J.ハイドン「交響曲第45番 嬰ヘ短調『告別』」
B:J.ハイドン「交響曲第94番 ト長調『驚愕』」
C:W.A.モーツァルト「交響曲第36番 ハ長調『リンツ』」
D:W.A.モーツァルト「交響曲第41番 ハ長調『ジュピター』」
(1)A、B、C、D
(2)A、C、B、D
(3)A、C、D、B
(4)A、D、C、B

それは
(3)「A、C、D、B」です。
記号を作曲年順の古い順に並べると下記のとおりです。
A:J.ハイドン「交響曲 第45番 嬰ヘ短調『告別』」
(1772年作曲)
C:W.A.モーツァルト「交響曲第36番 ハ長調『リンツ』」
(1783年作曲)
D:W.A.モーツァルト「交響曲第41番 ハ長調 『ジュピター』」
(1788年作曲)
B:J.ハイドン「交響曲第94番 ト長調『驚愕』」
(1791年作曲)
ちなみに各々の交響曲第1番の作曲年は、
J.ハイドンが1757年で、W.A.モーツァルトは1764年です。
J.ハイドンの代表作となる交響曲の一群『ザロモン・セット』の
ひとつ「交響曲第100番 ト長調『軍隊』」が1794年作曲で、
この後にまだJ.ハイドンは、交響曲を104番まで生み出すのです。
1791年にモーツァルト(1756-1791)が没していますから、
J.ハイドンの活動年代にモーツァルトの人生が丸ごと入ってしまう。
これはこれで、私的には新発見!! である。(苦笑)

(Ende.オーケストラの舞台裏
…名曲のナイショ話(第5夜) July 9, 2010)
The author is "Ms.Violinist."
The verification is "Ms.Composer."
