《レオポルド・アウアー》に送った後に、
チャイコフスキーはいよいよ、初演に取り掛かります。
初演のヴァイオリンを当時、ライプツィヒ音楽学校の教授の職に
就いていたロシア人ヴァイオリニスト、
《アドルフ・ブロツキー》に託しています。
1881年12月に、偉大な指揮者であるH.リヒターの指揮で、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって実現しました。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴いた
専門指揮者第一号で、音楽批評家で、楽壇での絶大な
影響力を持っていたE.ハンスリックには
『悪臭を放つ音楽』とまで、激しい口調で罵られてしまいます。
しかし、初演を任されたヴァイオリニストのブロツキーは
チャイコフスキー音楽の持つ独自性《豊かな民族色》を弁護し
自分の弟子達に国内外で積極的にこの作品を演奏するように
働きかけます。
では、ここであなたに質問です。
チャイコフスキーのこの作品を《演奏不可能として初演を拒絶した》
《レオポルド・アウアー》の弟子でないのは
次のなかで誰でしょうか?
(1)エフレム・ジンバリスト
(2)ヤッシャ・ハイフェッツ
(3)ミッシャ・エルマン
(4)イツァーク・パールマン
ヒント:ロシア系のヴァイオリニストの系譜に含まれない方。
どうぞ、消去法で考えてみてください。

それは"イツァーク・パールマン"です。
イスラエルご出身の世界的ヴァイオリニストです。
《A.スターン》の強い推薦を得て、ジュリアード音楽院に
入学されています。
《I.ガラミアン》と《D.ディレイ》に師事。
お持ちの楽器は、
1714年製ストラディヴァリウスの《ソイル》です。
「私、パールマンさまの演奏は好きです。」(笑)
2009年1月20日のアメリカ、オバマ大統領就任式では
世界的チェリストのヨー・ヨー・マと共演。ご高齢だけど、
まだまだお元気です。
「どうか、いつまでもお元気でいてくださいませ。」
ブロツキーはハンスリックの酷評にひるむことなく、
様々な機会でこの作品の演奏を続け、
徐々にチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の
真の芸術的価値が理解されました。
その後、初演を拒絶したアウアー教授も
この作品を演奏するようになり、
弟子のエフレム・ジンバリスト、ヤッシャ・ハイフェッツ、
ミッシャ・エルマンなどにこの作品を教え、
彼らが名演奏を繰り広げることで、《三大ヴァイオリン協奏曲》に
チャイコフスキーの作品も加えられ、《四大ヴァイオリン協奏曲》と
呼ばれるようになったのです。
この作品は、いち早くその真価を認め、作品の正しい評価に
尽力した恩人アドルフ・ブロツキーに献呈されたのでした。
「あー、なんとか丸く収まったねー。よかったよかった!」(笑)

(Ende.チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35(第4夜))
The author is "Ms.Violinist."
The verification is "Ms.Composer."

チャイコフスキーはいよいよ、初演に取り掛かります。
初演のヴァイオリンを当時、ライプツィヒ音楽学校の教授の職に
就いていたロシア人ヴァイオリニスト、
《アドルフ・ブロツキー》に託しています。
1881年12月に、偉大な指揮者であるH.リヒターの指揮で、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって実現しました。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴いた
専門指揮者第一号で、音楽批評家で、楽壇での絶大な
影響力を持っていたE.ハンスリックには
『悪臭を放つ音楽』とまで、激しい口調で罵られてしまいます。
しかし、初演を任されたヴァイオリニストのブロツキーは
チャイコフスキー音楽の持つ独自性《豊かな民族色》を弁護し
自分の弟子達に国内外で積極的にこの作品を演奏するように
働きかけます。
では、ここであなたに質問です。
チャイコフスキーのこの作品を《演奏不可能として初演を拒絶した》
《レオポルド・アウアー》の弟子でないのは
次のなかで誰でしょうか?
(1)エフレム・ジンバリスト
(2)ヤッシャ・ハイフェッツ
(3)ミッシャ・エルマン
(4)イツァーク・パールマン
ヒント:ロシア系のヴァイオリニストの系譜に含まれない方。
どうぞ、消去法で考えてみてください。

それは"イツァーク・パールマン"です。
イスラエルご出身の世界的ヴァイオリニストです。
《A.スターン》の強い推薦を得て、ジュリアード音楽院に
入学されています。
《I.ガラミアン》と《D.ディレイ》に師事。
お持ちの楽器は、
1714年製ストラディヴァリウスの《ソイル》です。
「私、パールマンさまの演奏は好きです。」(笑)
2009年1月20日のアメリカ、オバマ大統領就任式では
世界的チェリストのヨー・ヨー・マと共演。ご高齢だけど、
まだまだお元気です。
「どうか、いつまでもお元気でいてくださいませ。」
ブロツキーはハンスリックの酷評にひるむことなく、
様々な機会でこの作品の演奏を続け、
徐々にチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の
真の芸術的価値が理解されました。
その後、初演を拒絶したアウアー教授も
この作品を演奏するようになり、
弟子のエフレム・ジンバリスト、ヤッシャ・ハイフェッツ、
ミッシャ・エルマンなどにこの作品を教え、
彼らが名演奏を繰り広げることで、《三大ヴァイオリン協奏曲》に
チャイコフスキーの作品も加えられ、《四大ヴァイオリン協奏曲》と
呼ばれるようになったのです。
この作品は、いち早くその真価を認め、作品の正しい評価に
尽力した恩人アドルフ・ブロツキーに献呈されたのでした。
「あー、なんとか丸く収まったねー。よかったよかった!」(笑)

(Ende.チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35(第4夜))
The author is "Ms.Violinist."
The verification is "Ms.Composer."
