ここでメンデルスゾーンの家族を目をむけてみます。
作曲家フェリックス・メンデルスゾーンの父アブラハム・
メンデルスゾーンは裕福な銀行家で、息子に幼いころから
充分な音楽教育をうけさせました。
このアブラハムの父モーゼス・メンデルスゾーンといえば、
今日でもある分野では、大変に高名な方です。
さて、モーゼスは何で有名な方だったのでしょうか?

 付図の肖像画はフェリックスの10歳当時の肖像画。
 麗しく美しい。「ああ、彼の音楽そのものだ」って、私は思った。

$Ms.Violinistのひとりごと-10歳のメンデルスゾーン
















それは「哲学者」です。

モーゼス・メンデルスゾーンは哲学分野で、今日でも
名の通った方で、レッシングと親交があり、
《信仰の自由》を強く主張した第一級の知識人でした。
モーゼスの息子で銀行家で成功した
アブラハム・メンデルスゾーン(1778-1835)。
大作曲家フェリックス・メンデルスゾーンの父。彼は銀行家で
裕福にも関わらず、後にこう述懐しています。

 「私が若いころは、モーゼス・メンデルスゾーンの息子と知られ、
  今はフェリックス・メンデルスゾーンの父親だ、と人は言う。
 では、私は何なのだ? 要するにこの二つの世代を結ぶハイフンに
 すぎないのだ」。

この文章を私、初めて目にしたときは正直、むかっ! ときました。
だって、偉大な哲学者を父に持ち、息子には作曲家の仕事以外に、
シューマンと協力して《J.S.バッハの復興や、見捨てられていた
シューベルトの交響曲の初演》を成し遂げる等の偉大な業績を持つ
フェリックス。そして、自分は大金持ちの銀行家。
何が不満なのよーって!(本気で頭に来てましたよ、ワタシ)

でもね、すでに大作曲家として確固たる名声に包まれ、将来を
嘱望されていたフェリックスが1847年11月初旬に、突然死。
当時のカルテからは「クモ膜下出血」によるものとほぼ断定
されています。

フェリックスは、メンデルスゾーンの名字からも分かるように、
《ユダヤ人》であったため、社会的地位が上がるにつれて、
様々な迫害を受け始め、悩んでいました。
そんな弟を、ピアニスト兼作曲家であった
姉のファニー(1805-1847)は、良き理解者として支え、
励ましていました。

フェリックスは、死の前年に、心の支えであった姉を
病死(享年42歳)という形で失い、余りのショックに
神経障害を起こします。
医師の治療の甲斐あって一時は小康状態に得ますが、
姉の亡くなった同じ年の帰らぬ人となったのです。

その父もフェリックスの死の12年前(享年57歳)で没。
なにか、同じ《ユダヤ人のマーラー》の姿が重なり合う。
次々と夭逝していく親族や、言われのないユダヤ人への迫害。
アブラハムの言葉、きっと深い意味があったんだろうな……。
「悪くののしって、ごめんなさい。」

$Ms.Violinistのひとりごと-メンデルスゾーン VN協奏曲 2Movソロ冒頭















(Ende.メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64(第3夜))
The author is "Ms.Violinist."
The verification is "Ms.Composer."


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