$Ms.Violinistのひとりごと-徳永兼一郎先生・チェロ
















ある医師の手記に残された、徳永兼一郎先生の記述です。

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1993年に開院した平塚郊外のホスピス「ピースハウス」には、
内部に松本望氏の寄付によって作られた松本記念ホールが
設けられているが、開設以来、頻繁にここで入院患者や
家族のための慰問音楽会が催されている。
各病室には音楽療法室から画像とともに患者の好む音楽が
送られ、患者の心を和ませている。

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1996年3月30日の午後、松本記念ホールに、入院患者を含め
数十名の方が集まった。西に広く開いた窓からは雪を頂く
富士山が薄く見られた。
N響のチェロの首席奏者・徳永兼一郎さんは、55歳という若さで
癌に倒れ、残された短い生涯の最期を過ごす家をこのホスピスに
求めて入院されていた。この兼一郎さんの演奏を中心に、
弟さんで、N響のコンサートマスターをされていたヴァイオリン
奏者の二男さんほか、友人や弟子たちが全国から集まっての
演奏会である。

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兼一郎さんは車椅子に座してのチェロ演奏である。
最初に、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲の第2楽章を
弟さんの二男さんと。
最後の合奏は、カタルニア民謡をカザルスが編曲した
『鳥の歌』で、演奏会では、ピアノ伴奏を弦楽による伴奏に
書き直したもので演奏された。
チェロのパートを演奏し終わった兼一郎さんは、
目いっぱいの涙を弓を持つ右手で拭かれ、一同も涙にくれた。

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あんなに凛々しく演奏された兼一郎さんであったが、
この演奏会の7週間後には生を終え、5月25日には青山斎場で
音楽葬が行われた。
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$Ms.Violinistのひとりごと-未設定

ここに、この演奏会の最後、
カザルスの『鳥の歌』を演奏し終えた直後に語られた
徳永兼一郎先生のお言葉があります。
皆様とご一緒に耳を傾けてみたいと思います。

「もっとチェロが上手になりたい…。」

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徳永兼一郎(本名健一郎)チェロ奏者
 昭和16年4月26日~平成8年5月17日

(ende.)


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