「ホルン協奏曲の作曲順で正しいのは?」

父レオポルトの同僚で、おそらく演奏旅行中の
手紙の宛先となり、若いW.A.モーツァルトとも
年齢の差にも関わらずに親しく接していた友人の中に
宮廷楽団に所属するホルンの名手ロイトゲープがいます。
W.A.モーツァルトが、彼のために書いた協奏曲(全4曲)
「ホルンと管弦楽のための協奏曲」の作曲を年代順に並べた場合、
今日の作品名に付けられた第○番とは違ってしまいます。
作曲順に並べると、どのようになると思われますか。

$Ms.Violinistのひとりごと-G_ブント(ホルン奏者)




















それは、「第2番、第4番、第3番、第1番」です。

これらの協奏曲をW.A.モーツァルトから提供され、
演奏したロイトゲープは、正しくは、ヨーゼフ・"ライトゲープ"で、
生没年は「1732年-1811年」です。
以後、通称のロイトゲープを採用し、記述します。 

モーツァルトの最新研究では、作曲順が特定し、発表されています。
作曲順に並べると以下の順です。
「」内は初版の作曲年、『』内はロイトゲーブの年齢。
 (1)協奏曲 第2番 変ホ長調 K.417「1783年」『51歳』
 (2)協奏曲 第4番 変ホ長調 K.495「1786年」『54歳』
 (3)協奏曲 第3番 変ホ長調 K.447「1787年」『55歳』
 (4)協奏曲 第1番 ニ長調 K.412+K.514(386b)「1791年」『59歳』

ホルンを演奏される方、また管楽器ファンの方でなくとも、
感のいい方は上記の一覧表で、この順序で作曲された
事情を察せられたことと思います。
スコアリーディングしますと、モーツァルトが経験を重ね、
作曲技術が向上しているにも関わらず、年を追うごとに
協奏曲の規模が小さく、演奏時間も短くなります。
だんだんと独奏ホルンの技術的難易度(使用音域の幅と、
パッセージの複雑さ)が下がってきている点も注目したいです。

私も最初は、例のオランダの裕福な商人でアマチュアで
平凡なフルート愛好家の《ド・ジャン》の時のように
またしても、手抜きをしたかと思いました。
だって、協奏曲第1番など、真ん中の穏徐な第2楽章もなく、
第1楽章の「アレグロ」と、どこからか流用してそうな
第3楽章の「ロンド」の2楽章構成です。
第1楽章はご存じの通り、規模が小さく、独奏も簡単です。

しかし、W.A.モーツァルトが独奏を託したロイトゲーブの
年齢を重ね合わせてみて「ガッテン」しましたね。
これは、きっと「ロイトゲープの加齢による技術の衰え」に
W.A.モーツァルトが気配りして、わざと短く簡単にしたのだと。
事実、協奏曲 第1番 ニ長調 K.412+K.514(386b)「1791年」が
作曲された翌年、1792年にロイトゲーブは60歳で楽団を引退
しているのです。

$Ms.Violinistのひとりごと-モーツァルト ホルン協奏曲第2番 冒頭

























(Ende.M.A.モーツァルトの愉快ないたずら(第4夜))
The author is "Ms.Violinist."
The verification is "Ms.Composer."


人気ブログランキングへ