さて、前回までの"音楽夜話 ~名曲探訪~"では
"ブラームスのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77"について
お話をさせていただきました。
これで《三大ヴァイオリン協奏曲》が全て揃ったわけです。
私としては、これにチャイ・コンと呼ばれるチャイコフスキーの
ヴァイオリン協奏曲も仲間に入れて《四大ヴァイオリン協奏曲》として、
演じてみたいと考えています。
でも、大曲が続きましたので、
皆さまのお耳もお身体もお疲れの事と思います。
ですので、ここでリフレッシュしていただく意味で
小曲を一つ挟んで、チャイコフスキーへと続けさせてください。
作品名は"ブラームスのハンガリー舞曲集 WoO.1"です。
前置きが大変に長くなりました。
「ごめんなさい」。
ここからが本文です。
この曲集を作曲するきっかけとなったのは、
ブラームスが、ハンガリーを代表する名ヴァイオリニストと
ドイツ国内を演奏旅行した際に、お相手のヴァイオリニストから
民族音楽を教えられて魅了されたことに始まります。
さて、このヴァイオリニストとは誰でしょうか。
ヒント:"ブラームスのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77"の
中で登場した、若き日のブラームスをわがままで
悩ませたヴァイオリニスト……。
「あ、私ではないですからね。」(笑)

それは「エドアルト・レメーニ」です。
このお話は、ブラームスがまだ作曲家としては無名の修業時代。
青年時代に遡ります。ブラームスは1850年代の前半に、
レメーニの《伴奏ピアニスト》として、ドイツの各地に演奏旅行を
行い、貧しいながらもどうにか生計を立てておりました。
その時にレメーニからロマの民族音楽(*注)を教えられて、
その音楽にすっかり虜にされたのです。
作曲家としてはまだ無名で、自分の独創性を見い出せずにいた
若き日のブラームスには、レメーニのヴァイオリンから
紡ぎ出される音楽が、それまで身の回りにあった西ヨーロッパ音楽の
どれとも違う独創的な響きに聞こえました。
ブラームスは、レメーニから教わった音楽に自己の作品世界の
第一歩を見い出したのです。
それ以来ブラームスは、レメーニから教えられるまま、
熱心に採譜を続け、それらをまとめて"ハンガリー舞曲集"として
完成させます。
「自分勝手なレメーニには苦労させられたけど……。
よかったね、ブラームス君。」(笑)
(注):ロマの民族音楽とは、"ジプシーたちの音楽"のことです。
彼らは放浪を常にし、西アジアや東部ヨーロッパを
中心とした各地でぶとう収穫を始めとする季節労働者、
あるいは音楽の演奏やダンスなどを披露する旅芸人として
生活をしておりました。
彼らの音楽で、大きな特徴として挙げられるのは、
速さや強弱の激しい変化、ヴァイオリンの弓を
小さく動かして表す細やかなリズムと、
自由で大胆な即興演奏。
そして、ヴァイオリンという楽器の特徴を知り尽くした
彼らだからこそ為し得た、離れた高さの音の間を、
指を滑らせて繋ぐ、左手の技法《グリッサンド奏法》の
多用です。
また、哀愁を帯びた彼らの音楽は、
和声面では、短音階の4番目の音に♯が付いた(半音高い)、
西ヨーロッパの伝統音楽にはない、2つの増2度音程を持つ
独特の音階《ハンガリー音階》が用いられていました。

(Ende.ブラームスのハンガリー舞曲集 WoO.1(第1夜))
The author is "Ms.Violinist."
The verification is "Ms.Composer."

"ブラームスのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77"について
お話をさせていただきました。
これで《三大ヴァイオリン協奏曲》が全て揃ったわけです。
私としては、これにチャイ・コンと呼ばれるチャイコフスキーの
ヴァイオリン協奏曲も仲間に入れて《四大ヴァイオリン協奏曲》として、
演じてみたいと考えています。
でも、大曲が続きましたので、
皆さまのお耳もお身体もお疲れの事と思います。
ですので、ここでリフレッシュしていただく意味で
小曲を一つ挟んで、チャイコフスキーへと続けさせてください。
作品名は"ブラームスのハンガリー舞曲集 WoO.1"です。
前置きが大変に長くなりました。
「ごめんなさい」。
ここからが本文です。
この曲集を作曲するきっかけとなったのは、
ブラームスが、ハンガリーを代表する名ヴァイオリニストと
ドイツ国内を演奏旅行した際に、お相手のヴァイオリニストから
民族音楽を教えられて魅了されたことに始まります。
さて、このヴァイオリニストとは誰でしょうか。
ヒント:"ブラームスのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77"の
中で登場した、若き日のブラームスをわがままで
悩ませたヴァイオリニスト……。
「あ、私ではないですからね。」(笑)

それは「エドアルト・レメーニ」です。
このお話は、ブラームスがまだ作曲家としては無名の修業時代。
青年時代に遡ります。ブラームスは1850年代の前半に、
レメーニの《伴奏ピアニスト》として、ドイツの各地に演奏旅行を
行い、貧しいながらもどうにか生計を立てておりました。
その時にレメーニからロマの民族音楽(*注)を教えられて、
その音楽にすっかり虜にされたのです。
作曲家としてはまだ無名で、自分の独創性を見い出せずにいた
若き日のブラームスには、レメーニのヴァイオリンから
紡ぎ出される音楽が、それまで身の回りにあった西ヨーロッパ音楽の
どれとも違う独創的な響きに聞こえました。
ブラームスは、レメーニから教わった音楽に自己の作品世界の
第一歩を見い出したのです。
それ以来ブラームスは、レメーニから教えられるまま、
熱心に採譜を続け、それらをまとめて"ハンガリー舞曲集"として
完成させます。
「自分勝手なレメーニには苦労させられたけど……。
よかったね、ブラームス君。」(笑)
(注):ロマの民族音楽とは、"ジプシーたちの音楽"のことです。
彼らは放浪を常にし、西アジアや東部ヨーロッパを
中心とした各地でぶとう収穫を始めとする季節労働者、
あるいは音楽の演奏やダンスなどを披露する旅芸人として
生活をしておりました。
彼らの音楽で、大きな特徴として挙げられるのは、
速さや強弱の激しい変化、ヴァイオリンの弓を
小さく動かして表す細やかなリズムと、
自由で大胆な即興演奏。
そして、ヴァイオリンという楽器の特徴を知り尽くした
彼らだからこそ為し得た、離れた高さの音の間を、
指を滑らせて繋ぐ、左手の技法《グリッサンド奏法》の
多用です。
また、哀愁を帯びた彼らの音楽は、
和声面では、短音階の4番目の音に♯が付いた(半音高い)、
西ヨーロッパの伝統音楽にはない、2つの増2度音程を持つ
独特の音階《ハンガリー音階》が用いられていました。

(Ende.ブラームスのハンガリー舞曲集 WoO.1(第1夜))
The author is "Ms.Violinist."
The verification is "Ms.Composer."