さて、それでは
"ブラームスのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77"の
お話をいたしましょう。

《三大ヴァイオリン協奏曲》と呼ばれるベト・コン、メン・コン、
ブラ・コンと略称で呼ばれるドイツの音楽家の
ヴァイオリン協奏曲の中で、一番後の時代に作曲されたこの曲。
ブラームス(1833-1897)は初演までの間、神経質なまでに、
この曲の評判を気にし、作曲に先だって、多くの助言を求めた
ヨアヒムに何度も書簡を送って、練習が始まってからも訂正を
考えていた様子すらあります。
しかし、そうしたブラームスの心配は取り越し苦労に終わり、
記録によれば、1879年1月にライプツィヒのゲヴァントハウスで、
ヨアヒムの独奏、ブラームス指揮のゲヴァントハウス管弦楽団により
演奏された初演は大好評で、多くの批評家、及び作曲家からも賞賛の
書簡が届き、それらを前にブラームスは、ほっと胸をなで下ろしたと
伝わっています。
でも、ただ一人、このヴァイオリン協奏曲に
批判的だった作曲家がいます。
それは誰でしょうか?

ヒント:ロシアの作曲家で、批判はメック夫人へ書簡の中にあります。

$Ms.Violinistのひとりごと-ブラームス博物館のポスター
























それは、"チャイコフスキー"です。

チャイコフスキーが送ったメック夫人の手元に残されている
書簡では、
「情感が足りないし、内容が深刻で管弦楽のハーモニーが厚すぎる。
私には、彼のこの曲は好きになれそうもない」と、
かなりに厳しい言葉を残しています。
チャイコフスキーのおっしゃることも、もっともな点があります。
だって、当時はロマン派音楽の時代で、古典派音楽やそれ以前の
バロックの形式や楽曲構成を否定して、協奏曲であっても、
古典的で重厚なソナタ形式よりも、軽くて透明感のある歌曲形式を
使うことも良しとされた時代でした。
ブラームスの代名詞は《新古典派音楽》です。
時代に逆行して、古い形式を持ち出して、
そこに新しいハーモニーを流し込むことに心血を注いだ音楽家です。
バレエ音楽で聞かれるチャイコフスキーのメロディーの美しさや
管弦楽の流麗さとは、正反対の位置にいるブラームスを
お気に召さなかったのでしょう。
「ブラームスのことは好きにはなれないんだ……」。
チャイコフスキーは、この文言をブラームスの音楽を聞く度に
書き連ねられています。よっぽど音楽的なセンスが、
合わなかったんですね。
「ブラームスはご存じだったのかしら?」
 
でも、本当にこの曲は、ブラームス的いうか、
とっても管弦楽の音が厚く塗られているので、
独奏ヴァイオリンは管弦楽の響きに飲まれないように、
とっても頑張らないとイケないんです。
曲の出だしは、3/4拍子の牧歌的でゆったりとした第1主題が
ヴィオラ、チェロ、ファゴットで奏でられて、
待っている独奏ヴァイオリンも
「ああ、のどかな響きだなぁ……」って、
ウットリ聴き入っちゃうほどですが、
いきなり、弦楽器群が《マズルカ風のリズム》を
力強く奏で出すと、さあ大変!!
牧歌的な出だしとは大違いの情熱的なフレーズが
独奏ヴァイオリンを待っているんです。
まず、ここからして難所。
しばらくして、落ち着くと、第1主題の牧歌的な旋律で、
ほっとしつつ、管弦楽との調和を楽しめますが、
独奏ヴァイオリンには
《9度、10度という幅広い音程でのダブルストップ(重音奏法)》が
要求されています。
これについてヨアヒムが、
「よほど大きな手でないと難しい」と修正を提案したのを
ブラームスが拒絶しています。これを境にお二人の関係は、
ぎくしゃくしたものになったということです。仲良しだったら、
あと2曲ぐらいはヴァイオリン協奏曲があったブラームス。
「頑固者だったんだなぁ……」。(笑)

演奏する側の現実的な問題と、作曲する側の芸術追究のせめぎ合い。
「あ、この件に関してのコメントは『ノーコメント』ということで」。

$Ms.Violinistのひとりごと-チャイコフスキー(写真)





















(Ende.ブラームスのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77(第1夜))
The author is "Ms.Violinist."
The verification is "Ms.Composer."


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