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先週末の豊島岡文化祭より



進学校にはそうでない学校と比べ、軒並みオタクが、特に重度のオタクが多いと感じます。そしてそれには理由があると考えています。

人間自分が価値を感覚できないものには敬意を払えないものです。敬意を払えるものの幅を広げることが、まずリベラルアーツなり中等教育でなすべきことの大事なミッションかなとも考えています。

「とりあえずなんでもやってみる」ができる子は、対象の良さなり評価を経験した後でできるタイプなのだと感じます。他方で「関心があるものしか手を出さない」という子は、まず自分の脳内に快感を得る対象なり、理想像がすでにある状態でないと動き出せないのだとも感じます。後者の場合、現実とのズレが生じやすく、一度そうなると一切遮断する傾向が強くあります。進学校の学生が自閉的な状況に陥りやすい、第一の理由です。競争力がすなわち縦割りの能力を磨くことでのみしか担保されないと考えているためです。

例えば、「オタクが引きこもりになりやすい」というレッテルは、もちろん全員ではありませんが、理想像を脳内で固めすぎである傾向を指摘している、と捉えるのが妥当だと考えます。ほぼ繰り返しになりますが、経験することも拒否すれば、自分が思っている良さとは違ったものが出てきたから受け付けない、というスタンスに固執していると、対象との関係や人間関係を維持できなくなっていくものです。

総じて自身が感覚することが、得意な対象なり分野なりに没入できるものにのみ特化して漸進する力と、多様な対象なり分野の価値を認めてそれらを組み合わせて使いこなし価値を生み出す力と、全く別物だという話に行き着きつきます。そして研究にしろビジネスにしろ、後者の方が価値を生み出しやすい時代だとは言われているのは、各方面で活躍する社会人であれば誰でも実感するところではないでしょうか。

オタクの生産性が今ひとつで、結果的に市場価値を帯びなくなり、「オタクでない人」からの批判を、特に大人の場合浴びやすいというのは、この辺りにも理由があるんじゃないかなと思います。尤も大人になってからその属性が或る日突然パタッと消えるという場合はまずあり得ません。そしてこれが、進学校出身者には重度のオタクが多く、高い学力なり知能を保持しているにもかかわらず、名前が表に出てくることが少ないと感じさせる理由ともなっています。

「家の学校は自閉的だから」と、表面的には自嘲的に、でも腹の底では誇らしげに語る学生が大半です。しかしそれが妥当かと言われると、縦には尖るが水平的な理解なり、他者への理解が育たなくなり、生産性が失われることを意味しています。

言い方を変えると他者との邂逅を経て自身が変わることを恐れるな、ということでもあると思います。


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