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※過去にはてなブログに掲載していた記事の転載になりますm(_ _ )m※
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こんにちは、医科歯科医1年の廣田です。今日は理系の人の社会科目の勉強に対する姿勢のあり方から、いろいろ思うところを書いていきたいなと思います。ちょっと長くなりますが、宜しければ読んでみてくださいね(o^-')b
苦手な社会をやっつけでこなしがちな理系
理系の人で、社会が苦手だな、といった人は一定数いると思います。特に中学、高校入試に社会の試験がない学校においては、社会という科目に入学前にほぼ全く触れる機会のないまま、入学してはじめて社会に触れるような人もいます。さらにそういう人は往々にして、社会という教科を、暗記が嫌いだからという理由で切り捨てる、入試前にはセンターに1科目必要だからまあ仕方なくやってやるか、というような考えを持っていることも多い印象を受けます。
確かに、理系の人の中には、そもそもどうしても文系科目に対する苦手意識が拭い去れない、興味が持てない、という人がいるのも事実ですから、そういう人が入試に通るためには上に書いたような考え方をもとに勉強するのが一番効率が良い気もします。
文系教科を切り捨てられなかった自分
ただ僕自身理系の人間ではあったものの、どうしても文系教科を「切り捨てる」というような極端な考え方は、中学校の時からずっと好きになれませんでした。そしてさらに言うと、理系文系を問わずどの教科においてもそう思っていました。
でも自分自身、どの科目も最低限のことは勉強して知っておくことが必要な理由をはっきりとは説明できず、何故なんだろうと自分の中で答えを探していたのですが、最近気づいたのが、コミュニケーションにおいて多様性を生み出すことに繋がるのではないか、というものでした。
正直、どの分野においても、孤高の天才みたいな人でもない限り、少し優秀であったとしても、その優秀さを他人にアピールしないことにはその優秀さを認めてもらえないというのが社会の現状です。そんな中、いかに自分の成果や優れた点を分かり易く、それでいて正確に相手に伝えられるか、というコミュニケーション能力は必須であることは言うまでもありません。
互いを理解し評価するために
それじゃあ、理系の学問に関する何かを伝えるのに、別に文系科目の知識なんか要らないじゃないか、というふうな意見が出てくるかもしれませんが、そうではないのです。確かに理系の同じ分野を研究する仲間内だけで気軽に話をするのならそんな知識は必要ないかもしれません。
しかし、例えば数学を専門にする人間が、数学の専門的な事実を、(基本的には文系である)経済学の人間と共有しなければならない場合を考えてみましょう。そんな状況で数学的な用語だけをこねくり回して説明しても、相手は理屈はなんとなく分かったけどなんか専門的で取っつき辛いなあ、となってしまう可能性もあります。そんな時、歴史的背景と一緒にその事実を話せば、相手も話に乗りやすくなり、話がより分かり易く伝えられるでしょう。
この例は極端であるかもしれませんが、実際自分の興味のあるものに関してそれほど詳しくない人に何かを伝えるという機会は多々あるでしょうし、そんな時に、いろいろな言葉や知識の引き出しを持っていると、話の幅も広がり、自分の伝えたいことを広くアピールし易くなるのは言うまでもないでしょう。
しかし、今の受験制度は、理系と文系で全く分断されたものとなっており、理系は社会を(大学によっては国語も)知らなくても、文系は数学、理科を知らなくても進学できるシステムになっており、上に書いたような考えの人が出てきてしまうのも無理はありません、というより出てきて当然です。これは日本の教育におけるコミュニケーションの軽視から生まれる弊害として挙げられるかもしれませんね。
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