幼い頃に、
銭湯の帰り道、星空を眺めながら歩いていたら突然
「宇宙ってなんだろう、生きるってなんだろう・・・」
と疑問が生じ、胸の奥から虚しさに似た感情が
湧き起こったことを今でもはっきりと覚えている。
子供のころ、生きていることがつらかった。
何をやってもできなかったし、自分にまったく自信が持てなかった。
夜寝る前に
「どうか明日の朝が来ませんように」
と神様にお願いをして床につくそんな子供だった。
私の両親は私が宿ったときに既に不仲だったようだが
「今回生まれてくる子が男の子だったら離婚しないでやっていこう」
と話し合っていたとのこと。
でも、生まれたのは女の子の私。
そして両親はその数ヵ月後に離婚した。
この話を小学生の時に母から聞かされてとてもショックを受けた。
自分は生まれてきてはいけない子供だったのだと
ますます自分に自信を失った。
母は悪気なしで言った話なので責める気持はまったくない。
どんな出来事でも意味があって起こることだから。
いつの頃からか、
「自分が生まれてきて良かったのだと思える証が欲しい」
と願うようになり、尊敬するマザー・テレザのように、
人の役に立つことが何かできれば、
自分の価値を認めることができると思うようになった。
「一人でも多くの人を元気づけたい、役に立ちたい」
と願うのはそんな理由から。
そして、40代後半に人材育成・研修の仕事に出会い、
「自分は生まれるだけの価値ある人間なのだ」
と思うことができるようになった。
だから、会社がまだ軌道に乗らず苦しいが
魂は幸福を感じることができる。
子供の頃に渇望していたこの幸福感を
私はやっと手にれることができた。
すべての経験に今では感謝している