もうすぐ桜桃忌ですねー。
桜桃忌とは、一言でいうと太宰治を偲ぶ会です。
彼の誕生日、そして命日である6月19日に
三鷹の禅林寺で開催されます。
僕の一生は良くも悪くも太宰治によって方向づけられました。
十代の頃にはありがちな太宰ファンで、
十七歳で家出して新宿に移住してからは毎年欠かさずに桜桃忌に出席していました。
そういえば二年前の桜桃忌に出たとき、NHKに取材されて30秒くらい放送もされました笑。
そんな熱狂的太宰信者の僕も、今年は忙しさにかまけてすっかり忘れていました。
ところが昨日、昔の女友達二人から、それぞれ別々に「今年桜桃忌行くの?」と聞かれ、
「ああ、もうそんな季節か」と、ようやく思い出した次第です。
勿論行きたいんですが、ただ、現実的に考えると早起きして新幹線で東京へ行き、そして夜にはまた新幹線で名古屋に帰ることを思うとしんどくて無理ですね。
でも久しぶりに女の子と遊びたい……。
いや別に不純な意味じゃないですよ。
ええ。決して。
……ごめんなさい俺今嘘つきましたー!!
でも髪の毛を切ってしまってので、昔の知り合いに会うのはかなり気が引けますね。
ところで、僕は今年の三月、アパレルの正社員を辞めて、
小説家になろうと思って東京でホームレスをしていました。
意味不明だと思いますが、自分でも意味不明です。
パソコンと少しの着替えだけをキャリーバッグに詰めて、
新宿で昔の知り合いの家に泊めてもらったり、漫画喫茶で寝泊まりしたり、
マクドナルドで難民しながらぽちぽち小説を書いてました。
貯金わずか10万で、それが尽きる前になんとか書き上げて、
新潮なり講談社なりに持ち込むつもりだったのですが、
ちゃんと眠れない生活の辛さが骨身にしみて、どうしようかと思案していたところ、
「じゃあうちにきなよ」と仙台の知り合いの女の子が言ってくれたので、
そこに転がり込むつもりでした。
そうして、仙台に行く前に太宰に別れを告げようと三鷹の禅林寺に行きました。
別にその日の夜に仙台に行っても良かったのですが、
東京を離れる前に禅林寺に行きたかったのと、
先輩が新宿で夜の仕事をしていたので、手伝ってお金を貰ってから行こうと思ったのです。
翌日、先輩の働いているお店で、アルバイトをしているときに、それは起きました。
東日本大震災です。
シャンデリアは揺れるわ、一本百万のブランデーが何本も割れるわで大騒ぎでした。
「震度5くらいか?」なんて騒いでると、ニュースで事実が伝わってきました。
震源地は宮城県沖、震度は7。
ぞっとしました。
もし前日に仙台に向かっていたら。
胸ポケットに入れていた仙台行の夜行バスのチケットが、やけに重く感じました。
仙台にいる女の子が心配で、電話をしても当然つながりません。
メールですら、二時間遅れで受信するという有様でした。
その子は無事でした。
ちなみに「今年は桜桃忌行かないの?」と聞いてきた子の一人はこの子です。
その時の新宿は大混乱でした。
電車は動かないし、漫画喫茶には人の列が出来ていて二時間待ちでした。
歌舞伎町の建物から吐き出された、見たこともない数の人間たちが印象的でした。
そうして、靖国通りのビルにある、大きな大きなテレビから流れる被災地の衝撃的な映像。
僕は電車が動くのを、新宿駅の地下で待っていましたが、そこにいる人間たちの暗い顔。
地べたに座った人たちの生気のない顔は忘れられません。
僕はなんとか連絡のついた、知り合いの女の子の家まで歩いていくことにしました。
新宿から高田馬場まで歩いて40分。
明治通りから歩いていったのですが、そこには千人単位の人間たちが行進していました。
みんな、電車がないので歩いて帰っていたのですが、
この無言の連帯感が何故か心強かったように思います。
夜が明けて、原発のニュースを見て、僕はすぐに地元の静岡に居る妹の家に居候しに行きました。
友達からは「メルトダウンなんて起きるわけないだろ馬鹿だなあ」と笑われ、
僕の帰った直後に起きた静岡の震度6の地震では「ざまあみろ!」とまで言われましたが、気にも留めませんでした。
彼女からは「私を置いていくの?」と言われ、信じられない、と罵られました。
「じゃあ俺と一緒にくれば?」
「荷物が多いから無理だよ」
「そんなに荷物が大事なら荷物と心中しろ」
結局別れずに、今でもなんとなく月一くらいで会ったりして続いてる、あいまいな関係です。
その後すぐに、岐阜にいた後輩の家に行き、居候させてもらいました。
居候ばかりしていますが、僕は居候のコツを心得ているので問題はありません。
二十歳の時には、一か月で四人の女の子の家を転々としていました。
後輩の知り合いに、運良く風俗店の元代表みたいな人がいたので紹介してもらい、
それがきっかけで名古屋に移動してきました。
その紹介された店は条件面が折り合わず、断りを入れて、
またマクドナルドなどを転々としながら小説を書いていました。
大体200枚ほど書いてから、その日暮らしのストレスが耐えられなくなり、
再び仕事を探し出しました。
そうして、なんとか社長の温情でCLASSY.で雇ってもらえ、今に至るというわけです。
ご飯が食べられて、ちゃんと寝られて、仕事がある。
こんなに幸せなことはないですね。
桜桃忌の話でなんでこんな話になってしまったのだろう……。
気にしません!! ←口癖


桜桃忌とは、一言でいうと太宰治を偲ぶ会です。
彼の誕生日、そして命日である6月19日に
三鷹の禅林寺で開催されます。
僕の一生は良くも悪くも太宰治によって方向づけられました。
十代の頃にはありがちな太宰ファンで、
十七歳で家出して新宿に移住してからは毎年欠かさずに桜桃忌に出席していました。
そういえば二年前の桜桃忌に出たとき、NHKに取材されて30秒くらい放送もされました笑。
そんな熱狂的太宰信者の僕も、今年は忙しさにかまけてすっかり忘れていました。
ところが昨日、昔の女友達二人から、それぞれ別々に「今年桜桃忌行くの?」と聞かれ、
「ああ、もうそんな季節か」と、ようやく思い出した次第です。
勿論行きたいんですが、ただ、現実的に考えると早起きして新幹線で東京へ行き、そして夜にはまた新幹線で名古屋に帰ることを思うとしんどくて無理ですね。
でも久しぶりに女の子と遊びたい……。
いや別に不純な意味じゃないですよ。
ええ。決して。
……ごめんなさい俺今嘘つきましたー!!
でも髪の毛を切ってしまってので、昔の知り合いに会うのはかなり気が引けますね。
ところで、僕は今年の三月、アパレルの正社員を辞めて、
小説家になろうと思って東京でホームレスをしていました。
意味不明だと思いますが、自分でも意味不明です。
パソコンと少しの着替えだけをキャリーバッグに詰めて、
新宿で昔の知り合いの家に泊めてもらったり、漫画喫茶で寝泊まりしたり、
マクドナルドで難民しながらぽちぽち小説を書いてました。
貯金わずか10万で、それが尽きる前になんとか書き上げて、
新潮なり講談社なりに持ち込むつもりだったのですが、
ちゃんと眠れない生活の辛さが骨身にしみて、どうしようかと思案していたところ、
「じゃあうちにきなよ」と仙台の知り合いの女の子が言ってくれたので、
そこに転がり込むつもりでした。
そうして、仙台に行く前に太宰に別れを告げようと三鷹の禅林寺に行きました。
別にその日の夜に仙台に行っても良かったのですが、
東京を離れる前に禅林寺に行きたかったのと、
先輩が新宿で夜の仕事をしていたので、手伝ってお金を貰ってから行こうと思ったのです。
翌日、先輩の働いているお店で、アルバイトをしているときに、それは起きました。
東日本大震災です。
シャンデリアは揺れるわ、一本百万のブランデーが何本も割れるわで大騒ぎでした。
「震度5くらいか?」なんて騒いでると、ニュースで事実が伝わってきました。
震源地は宮城県沖、震度は7。
ぞっとしました。
もし前日に仙台に向かっていたら。
胸ポケットに入れていた仙台行の夜行バスのチケットが、やけに重く感じました。
仙台にいる女の子が心配で、電話をしても当然つながりません。
メールですら、二時間遅れで受信するという有様でした。
その子は無事でした。
ちなみに「今年は桜桃忌行かないの?」と聞いてきた子の一人はこの子です。
その時の新宿は大混乱でした。
電車は動かないし、漫画喫茶には人の列が出来ていて二時間待ちでした。
歌舞伎町の建物から吐き出された、見たこともない数の人間たちが印象的でした。
そうして、靖国通りのビルにある、大きな大きなテレビから流れる被災地の衝撃的な映像。
僕は電車が動くのを、新宿駅の地下で待っていましたが、そこにいる人間たちの暗い顔。
地べたに座った人たちの生気のない顔は忘れられません。
僕はなんとか連絡のついた、知り合いの女の子の家まで歩いていくことにしました。
新宿から高田馬場まで歩いて40分。
明治通りから歩いていったのですが、そこには千人単位の人間たちが行進していました。
みんな、電車がないので歩いて帰っていたのですが、
この無言の連帯感が何故か心強かったように思います。
夜が明けて、原発のニュースを見て、僕はすぐに地元の静岡に居る妹の家に居候しに行きました。
友達からは「メルトダウンなんて起きるわけないだろ馬鹿だなあ」と笑われ、
僕の帰った直後に起きた静岡の震度6の地震では「ざまあみろ!」とまで言われましたが、気にも留めませんでした。
彼女からは「私を置いていくの?」と言われ、信じられない、と罵られました。
「じゃあ俺と一緒にくれば?」
「荷物が多いから無理だよ」
「そんなに荷物が大事なら荷物と心中しろ」
結局別れずに、今でもなんとなく月一くらいで会ったりして続いてる、あいまいな関係です。
その後すぐに、岐阜にいた後輩の家に行き、居候させてもらいました。
居候ばかりしていますが、僕は居候のコツを心得ているので問題はありません。
二十歳の時には、一か月で四人の女の子の家を転々としていました。
後輩の知り合いに、運良く風俗店の元代表みたいな人がいたので紹介してもらい、
それがきっかけで名古屋に移動してきました。
その紹介された店は条件面が折り合わず、断りを入れて、
またマクドナルドなどを転々としながら小説を書いていました。
大体200枚ほど書いてから、その日暮らしのストレスが耐えられなくなり、
再び仕事を探し出しました。
そうして、なんとか社長の温情でCLASSY.で雇ってもらえ、今に至るというわけです。
ご飯が食べられて、ちゃんと寝られて、仕事がある。
こんなに幸せなことはないですね。
桜桃忌の話でなんでこんな話になってしまったのだろう……。
気にしません!! ←口癖

