モーツァルト ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K 488 第2楽章
モーツァルトは1781年(25歳)に故郷ザルツブルクからウィーンに拠点を移します。そしてここからいよいよ、その天才ぶりが存分に発揮されていきます。妻共々、金銭感覚に疎く、常に生活に苦しみ始めるのもこの頃からです。暖をとるゆとりもなく、冬の晩に妻と踊り明かし、寒さを凌いだという話もあるほど。しかし、その貧乏生活がモーツァルトに、驚異的な速度で作品を書かせました。ウィーンの音楽好きの貴族たちは、金銭的な援助を一切しませんでした。ですからモーツァルトはひたすら新作を書き、演奏会を開くしかなかったのです。ピアノ協奏曲はそのいい例で、窮状を打開するために予約演奏会を催しては、それに合わせてギリギリで作品を仕上げ、練習する間もなく本番に入っていました。そして自ら演奏して収入を得て、なんとかその都度を凌いでいたのです。ですが、そうした現実生活には関係なく、作品は深化をみせていきます。この時期に書かれたピアノ協奏曲は特に傑作揃いで、1785年の第20番ニ短調を筆頭に、死の直前に書かれた第27番変ロ長調まで、駄曲はまったく無く、モーツァルトのキャリアの中でも重要な作品が並びます。1786年春の予約演奏会のために作曲された第23番イ長調は、トランペットとティンパニという、華やかな楽器のない室内楽的な作品で、 当時まだ新しかったクラリネットを、オーボエの換わりに用いています。こうした木管群の響きが第23番に、より落ち着いた雰囲気をもたらしています。またこの曲の第1楽章では、モーツァルト自身がカデンツァを書き残しています。第20番以降の作品でこの作業はほとんど見当たらず、 即興性の余地のない、完成したイメージが彼の中にあったことを思わせます。第2楽章は8分の6拍子の、シチリアーノ風のアダージョです。感傷的な旋律の深い趣きは、モーツァルトの緩徐楽章の中でも格別です。80年代に薬師丸ひろ子さんがこの曲に歌詞をつけて、「花のささやき」というタイトルで歌っていたことでも知られています。