世の中には、ロクすっぽ、しっかり読んでもいないのに、学んでもないのに、わかったような書評を書き、智者ぶり、自分がわかったような解説をする。そして自分もわかったようなつもりになる。こういうのを恥知らずな自分の馬鹿に気づかない本当の馬鹿とこれをいう。(しっかりした社会なら、本来バカは静かにしているものなのだが・・昔から・・(苦笑))  馬鹿は自分が馬鹿なことがわからないから馬鹿なことをする、馬鹿なことを言う。



しかし、もう、これ犯罪ですね。



古代のアテネでも、ソクラテスはこのようないい加減な、地道に大切なことを学ばない、でたらめな人間どもが増え、その馬鹿どもに、そのいい加減な訴えされ、不当な判決でありながらも、その刑にしたがった。


これは人類史上、実に貴重な警告、教訓として、いつの時代にも、大切に引き継がれた実話なのだが、それすらよくわからず、いい加減なことを言っている大馬鹿ものがいる。中には、この事実も知らずに、西洋哲学史などを平気でかたるのには驚く馬鹿であることがわかる。自由に甘やかされた大ばか者である。




言論の自由を保障された社会は、いい加減な社会になりやすく、そうなった民主主義は、人々の堅実さも、本当のまじめさも失わせた。


すなわち、社会の良風は失われ、良識も失われ、慎みの心も失われ・・


そんないい加減なのでいいのか?恥ずかしくないのか?ソクラテスはいい加減で知ったかぶりばかりの、当時のアテネ市民に問いかけた。アテネ市民に自分たちが言いかけんで危機的状況なのに気が付かない。そしてソクラテスが予言したように、都市国家アテネは崩壊し、侵略され、アテネの知は限りない悲惨を味わい続けることになる。


いまの日本も同じようなもの・・


自然科学もその限界を見ていない。


本当は自然科学も実はたくさんの弱点がある。それをも知らず、限界をしらないものは自然科学の亡者になっているものもいる。


科学的証明された、というと、こっろと騙される。


科学など100%絶対なのあり得ないのに・・


科学への人間の努力はとても貴重だ。しかし科学をなどは、その方法論から考えれば、一定のわけの中でなりたつ原理なのだ。


それも知らずいい気になっている今の人間ども・・


もっと生きることに、慎重に慎み深く生きるべきだ。



いまの日本、これを忘れて、いい加減なやつばかり、いい加減なことを強くいう。


まさに、菅直人、首相からしていい加減なのだから・・


いまの時代、じつにいい加減なやつが、まともな顔をして、いい加減にもっともらしく発言する。


本当ならこれはもう犯罪なのだ。罪者は時分が大きな犯罪を犯していると自覚していない。自覚していないから犯罪を犯す。そして、犯罪者は、とにかく、自分にいいようにものごとをとらえたがり、自分を否定するものを嫌悪する。そして胸糞悪くなるような自己肯定をする。本当に更生できない犯罪者は、その犯罪の罪の意味も解らず、ようするに言い訳たっぶりばかりいい、この世をさる。



死刑囚の話はまた別二ははなそう。






もし、あの世があるなら、このような目に見える犯罪を犯す悪人より、智者ぶって、いい加減なことをいい、社会を混乱させたものは、強い懲らしめをうけなければならないのだろう。






本当は死後というものがあるかないかも、現代でも、正直によく考えれば、まったくわからないのだ。



いい加減な奴だけは、地獄などありゃしない、とタカをくくっているが、いい加減でよく考えない結果だ。


無知、とはこういうやつらを向けるべきなのだ。









『本当の馬鹿』を自分が『馬鹿』だ、と認識させるには、並大抵ではない。


どの世界も同じだが、そういう人間はいつの時代、どの社会もいるが、すぐ借り物の権威にすがるような、本当は人として自分に何もないくせに、うぬぼれだけは人一倍の人間だからだ。そのくせ、恥ずかしさを知らない、胸糞悪くなるようなズウズウしさだけだけは失わない。まして自分がなにか役にたっている、などと勘違いまでしたがる。今の時代、こんなやつらの増殖した時代なのだ。もちろんこんなのがいつまでも続くわけが無いが・・


ただ、そんな奴らの、もうこれ以上、実害が出ないことを祈るのみ。なんともこまったもんだ。