世界の歴史を見れば、過酷な人間の現実を見ることになる。

その現実は、人間の日々の想像を超える、日々の安穏な生活、人々の勝手な夢想など、ふっと軽く吹き飛ばすような、この世の厳しい現実を見せつけられることがある。


なにも東日本大震災を持ち出すまでもなく、人類はそれを経験してきている。


人間はその時代その時代のこの過酷な現実と、挫折を乗り越え、なんとか乗り切ろうと努力してきた。


かつて、有名な18世紀に経済学者マルサスの「人口論」という、食料生産が等差級数的増加に対して、人口は等比級数でき増加で、食料生産が人口増加に追い付かないと、人類生存の危機を提示たことがあった。


いまも世界では食料不足で餓死する人間は数多くいる。かといって、全く人間はこれに何もしなかったわけではない。


先にここでも書いたが、食料生産には窒素肥料は欠かせない。この窒素肥料はそれまで、バクテリアなどで窒素有機物の腐敗などを利用して作られていた。この窒素肥料の生産に大変な貢献をしたのはハーバー・ボッシュ法という空気中の窒素固定を可能にした工業製法によるものだ。この窒素肥料の脅威てな増産により、農産物の収穫が飛躍的に増大した。

もちろん、この肥料の問題点を指摘する者もいる。しかし、現在の世界の人口を養うためには、このハーバー・ボッシュ法による肥料生産が無ければ、人類は生存できない。


いま、世界の一部の富裕な国の人々、とくにルソーなどがもてはやされたフランス革命以後の「自然に還れ!」という発想は、広く行き渡り、自然主義などといって、人間の手の加わらないものに価値を置く傾向がとくに最近みられる。私は基本的にはルソーのような発想を好まないし、戦後の日本の教育界がルソーを高く評価しすぎるところに戦後教育界の大きな誤りがあると考える。教育関係の人たちからはお叱りを受けそうだが、ルソーなどの夢想家たちを引っ張り出さず、むしろこの連中を無視したほうが、実際には良いと私は考えている。


しかし、人間の手が加わらないもので、現在のこれだけの地球上の人間を維持できるはずもない。人間の手の加わらない自然など、かえって人類には危険な状況に追い込むことになる。


日本は福島の原発事故で、その福島の悲惨さで世界的に有名になった。これによって、ドイツ、イタリアなどは、、即座に「脱原発」の路線をとった。国民投票がある国だからだ。すなわち民衆の感情がすぐに政治判断に影響する国だからだ。ただし、それらの民衆は本当に、この大変などうしようもない人口を抱える地球の状況を理解しているのだろうか。


原発事故はたしかに悲惨だ。しかし、この悲惨な人口を抱えるこの地球の状況もしっかりと認識、考えておくことが、大人の発想というものだろう。


古代ギリシャでは、天から火を盗んでいたプロメテウスが罰せられ、縛られ、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれる苦しみを味あわされるとい話がある(『縛られたプロメテウス』)。

この有名な話は現代の人類が手にした原子力の状況にたとえられることも多い。


原子力という膨大なエネルギーを手にすることができるものを、世界のすべての人類が簡単に手放すなどとはとても思えない。それだけ過酷な世界の人類の状況が厳然とあるからだ。


いま、日本でも、愚かで思慮のかけるアホ首相菅直人をはじめ愚かな政治家たちは、国民の意思などといって、この原子力を手放そうとしている。はたして本当に良いのか。


冷静さにかける愚かな民衆は原子力を恐怖するだろが、世界の人々は、一度手にした原子力は決して手放さないだろう。これが一般民衆が気が付かないことだ。政治家は現実から逃げるのではなく、ここは勇気をもって原子力に正面から向き合うことが必要だ、これが立派な政治家の姿だ。


中国も、アメリカも、フランスも、原子力は手放さない。もし彼らの原子力の知識に我が国が遅れたら、かれらからの、仮に被害があっても何もできない。そんなに簡単に太陽光など再生可能エネルギーで、人類のエネルギー需要が賄えるなどとは決して思えない。


この厳しい現実を忘れて、民衆ウケだけで、原発政策を考えたら、またさらに大きなしっぺ返しが返ってくることを忘れてはならない。


政治は耳触りのいい夢ばかりをかたるものではない!!


この過酷な厳しい地球の現実を、これからの人々はしっかり見つめなければならない!!



*ようするに『テクネー(技術)』の問題なのだ。テクネーとは自然科学と考えてよい。自然科学とは一つの設定条件を決め、その条件下で現象の法則化を求める、そしてその法則下で利用できる技術は利用する。


たとえばエネルギーでいえば、古典力学での法則下で設定された条件では、物体の静止している場合は運動エネルギーは0ゼロと考えるが、これが量子力学では物体が静止していても、0ゼロとは考えない。


このように、自然科学はその設定条件で、認識がことなるのだ。


だから、人間がこれを利用する場合、この条件確認と、絶えずその経験値を積み上げてゆかなければならない。


今回、福島原発事故は大きな教訓を残した。単に無視するのではなく、より確かな冷静な検証こそ必要なのだ。


ところが、事故を起こしたということで、あわてて、そこから逃げてしまったら、この事故の教訓は全く活かせない。

(中国など、鉄道事故を起こしても、何の検証もせず、事故車両を隠ぺい(逃げ)するかのように、埋めてしまうなどという馬鹿なことをする。基本的に嘘が常習化している国だからである。)



まして、原子力から逃げて撤退したら、日本の技術力も犠牲者の無念も、なにもすべて無駄になる。



技術は絶えず積み上げなくてはならないのだ。


それを無知で臆病な民衆やマスコミのために、無力化し破壊されてはたまらない。



ここは冷静な感情にとらわれない判断が必要なのだ。