とあるサイトから「郡盲象を撫でる」の解説をのせる。
『人がそれぞれの五感や知識に基づいて真理を語ろうとしても、言及できるのはその一端にしか過ぎないということ。目の見えない人たちが象の体を撫で回し、それぞれが手に触れた部分から象は太い綱のようだ、杖のようだ、太鼓のようだと見当違いの批評をしたという、仏典『六度経』にある寓話から。』
偉大なものは、一般にはなかなかわからない。
わからないからと言って、それが、「誤り、偽」である、などとはとても言えない。
むしろ、いい加減なおしゃべり者がとんでもない勘違い、間違っているのだが、自分自身が「誤り、偽」の存在であることに全く気付いていないだけなのだ。
そして、さらに開き直ってでも、バカの上塗りをする。悲惨な自分に気づかない。
それだけのことだ。
自分が死ぬ存在であることにも気が付かず、毎日適当に人の「死」を軽々語るお粗末宗教家と同じだ。
馬鹿につける薬はない、ということだろう。。(笑)