俺が高校生の頃だっただろうか、ある語学学校で『サルトル、自身を語る』という自伝的映画を見た。
サルトルいわく「自分はノイローゼだった」と・・・。
ふざけんなっ!!「アンガージュマン」といって、マスコミと一緒に世界の多くの人々をひきまわした人間が、なんとノイローゼだったとは!!この野郎!!・・・と、思った。
ハイデガーは『存在と時間』という未完の大著を完成させようとしたが、あきらめた。そもそも時間というものは、古くから議論のあったところだ。彼はアリストテレスの、現在。過去。未来という平板化した時間の概念を乗り越えようとした。もちろん、この時間の概念は現在の現代物理学(西欧の物理学では、特にこのアリストテレスの時間論が議論されているが)でも重要なものである。それには旧約聖書から発する時間論も関わり、時間の連続性などを議論するとき、これまた古代の人々の知恵に戻らなければならなかった。ハイデガーはこれを完成させるかと思いきや、晩年になると、日本の親鸞の『歎異抄』(英訳)をよみ、この歎異抄に帰依してしまう。
こりゃ、これまでのはいったいなんだったんだと、言いたくなる。しかし、時間というものは、ま、ハイデガーにかかわらず我々には実に興味のあるところなのだが・・
昨今、ニーチェに人気が集まっていると聞く。かれも、晩年は発狂して亡くなっていったが、彼はそもそも西洋古典の文献学者だった。彼が感動したのは、プラトンのゴルギアスの、あのカリクレスだった。このゴルギアスもプラトンの重要な書であるが、どうやら、ニーチェはキリスト教弁神論のヘーゲルに対抗しているようにも見える。だから、彼が生まれ育った風土のキリスト教に反抗しているかのようにも感じる。しかしだ、ニーチェが感動したゴルギアスのなかのカリクレスはソクラテスに論破されている。その論破されたカリクレス派のニーチェばかりが日本では人気がでて、論破したソクラテスはどうも日本では注目を浴びない。ざけんな。。どうもこの日本は変だ。(笑)
ま、実に簡単に書いたが、とにかく思想とか哲学などは、流行などを軽率に追うと、裏切られる、このことはよくある。
そもそも流行など、流れ消えてゆくものなのだ。
物事を考えるのは、善いのかもしれないが、現代の流行だけでものを考えると、大失敗することは多い。
ま、哲学などに関心のある方々は、くれぐれもご注意を!!うん!!
(^-^)