陸田さんは、この書に接するまで、まったく知らない存在でした。
しかし、死刑囚である彼がが、何の言い訳をするでもなく、死刑囚である前に、人間として実に自分を厳しく見つめていることです。これは、下手な哲学の先生の本を読むより、よほど私には勉強になります。
多くの哲学の書の中には、自己の虚栄や見栄、学会での評判、こんなのを意識した、さらに自分の商売として、彼らの心の奥の虚栄の姿を色濃く出ているものもあります。これを見落として、注意しないと、真実とは、かなりかけ離れたところへ持って行かれる場合があります。
陸田さんは徹底して自分を見つめています。人間としての正しさというものを、自分の中での浄化、洗練の過程で言葉でめいかくにさせ、自分自身を虚心に、一切の甘さを排除した厳しく自己を見つめることができるようになっており、人間のまさにその正しさを厳しく求める姿に実に打たれます。
人間なんて自分可愛さ(虚栄の欲)から、平気で他人にうそをつく動物です。哲学者と自称する人間も無縁でありません。死を前にしても、他人の目を気にして、自分の後の評判を気にし、虚栄に走る人すらあります。
哲学の先生も、実は多くの虚飾があり、仮に哲学の世界であっても、彼のような心の浄化の過程はなかなか難しいのではとも感じます。だから哲学、思想の本を読むとき、彼らの虚飾は十分注意しなければなりません。この虚栄により、出鱈目を書くときもあり、人間の業の深さを感じることすらあります。しかし、そこには真実はありません。まず、TVに出てくる哲学者なんて人種は虚飾の塊と思っておいたほうが安全です。この世に生きている以上、この世の評判みたいなようなものを気にする人間は、みんな持っているものです。哲学者は本来この虚飾を排し、真実を見つめることが、その仕事なのですが。
陸田さんの姿勢は、死刑囚でしたが、哲学への姿勢としては、まさに素晴らしく正道を歩んでいます。
彼とは多くのところで、私の意見とは異なります。ただ、彼の姿勢は共感とともに、とても嬉しいものです。
いまTVなどに、のこのこ出てくる自称哲学者など、この姿勢を失っている人がほとんどです。情けないです。
哲学を求めるなら、変に利巧ぶるのではなく、自分を虚飾なく厳しく見つめる必要は絶対にあると思います。
これがない哲学に興味を持つ者は、まず虚栄元ずく、知ったかぶりの、利口ぶりるだけの、愚かな、ある種うそつき人間と思って間違えないでしょう。
(^-^)
そもそも、哲学は「死の訓練」(プラトン「パイドン」)と定義付けられることすらあります。
すなわち、「死すべき人間」と運命付けられている人間です。その死までの人生の過程でいかに心を浄化させていくことが重要かとされるわけです。