昨夜、NHK原発事故の特集を視ていたら、民族学者なる梅棹忠夫の回顧を原発事故と絡めて、放送していた。どうも民族学なるものが権威を持ち正しかの如く紹介していた。それも、それも、見える者からすれば、いかにもインチキ臭い、インチキ臭いものを学者風をかたる、お笑い芸人にしか見えない、荒俣某が紹介者としている番組構成をしている。今の時代、荒俣のような、ちっとばかり知っていて、さも正しかのごとく、本当は浅い理解しかない、いい加減な奴ばかりがTVに登場するが、その浅い理解には兼ねてより不愉快に思っていた。実は私は梅棹も似たようなところがあると思うが、マスコミ受けはいいのだ。
梅棹が活躍していた時代は、ローマクラブなるイタリアのタイプライター会社の社長が地球の危機をさけんで作った団体が世界のマスコミに注目されていた時代で、梅棹などはその影響をかなり受けていただけと私は見ている。彼らの叫んでいた危機は直ぐにはなく、その残影はあるにせよ世界は見放していた。勿論レヴィストロースが提唱した文化人類学の手法の一端に過ぎないものであるが、今回の番組は、津波、原発事故、にショックを受け、文明の崩壊を示唆するような文明論に持ちこんでいる。
私はまたまた始まった、大袈裟マスコミの大袈裟番組に仕立て上げてる姿に実に不愉快なものを感じている。

下らないものを大袈裟に話す放送局の姿は、戦前も戦後も一貫して共通するインチキ情報に不愉快な感じがする。

もっと希望もって生きた法がいい。

後に話すが、死刑囚、陸田真志さんのような、爽やかな自己をこの世に見い出し、立派に死んでいった人間のほうが、よほど評価できる人物のように思う。
(^-^)