新渡戸稲造の『武士道』を読む、反省させられることが多い。


三島由紀夫、また、江藤小三郎の話をした。しかし、正直、新渡戸と比べると、この二人のスケールはきわめて小さい。比較にならない。


正確にことを見る視点でだが、またこの視点で死者に鞭打つ非礼を許してもらえれば、この二人の評価は「貧者の一刀」としか、私には見えない。


今の時代のように、汚くなにをやってもただ生きればいいという風潮に、自分の「生死」をかける。命乞いなどせずに死んでみせる。プライドを見せつけたかもしれない。


しかし、むしろ、この『武士道』の精神からすれば、逆に武士道をパロディー化、矮小化させてしまい、今一般人が描くとき、『武士道』の本当の姿を曇らせてしまった、間違わせてしまっているのかもしれない。これは彼らの罪だ。


だから、いま一般の日本人自身が描く「武士道」というものは、本来の『武士道』とは、大きく異なり、勘違いをしているのではないか、と思う。


本来の『武士道』の精神は世界にも通用する。だからこれを深化をさせれば、いままた日本復活の芽でるのではないかとひそかに思う。


ただ、そこまでには大変な努力と時間が必要だ。


ま、あきらめないことにしよう。



(^-^)