何故か寺山修司を引っ張り出し、酷評した。
ただ、今、気分が悪い。たしかに、寺山が活躍したころは、既成概念への否定とか反戦運動的雰囲気が若者、マスコミに支持されていた時代。ある意味、日本にそんなことでも、充分余裕のあった時代かと思う。ただ、もはや寺山が残した、また影響させたお遊びでは、もう立ち行かず、やって行けない今の日本なのではないか、とふと思っただけだ。彼はやはり才能がある。そしてそれを見せびらかせた。それではその才能も否定してもいい時期だろう。
くりかえすが、彼は「社会を変える」といった。確かにある意味成功した一面がある。
しかし、それでは、もうやってゆけそうにないと思ったとき。彼が変革した精神文化を、ここはさらに彼がやったように、寺山を厳しく否定したいと思ったまでだ。これを言っておくことが、彼への礼儀だろう。そう思った。
寺山は若いときから肝臓疾患を抱え、絶えず、病という死をそばに抱えていた。これは後ろからたえず病気という精神的に目に見えない鎖につながれていたのかもしれない。実際享年47歳だ。しかし、しかし、彼は正面から死を見つめてはいなかったのではないか。彼の作品は、むしろ死を見ず、ほんとうはそこからの逃避、気晴らしのお遊びをしていたのではないかと俺は勝手にみている。
彼はエンターテナーだったのだ。だから彼を変革者としてではなく、エンターテナーとして楽しもうと思う。
かれに媚を売る必要などさらさらない。彼は挑発した。それに思うことでしっかり答えるのか、死者への礼儀と思っている。これでいいのだ。
(^-^)