『禅』というと世界的に知られた、優れた仏教思想の一つだ。これには日本に三つの宗派があって、一つは福井県にある永平寺を総本山とする曹洞宗。一つは鎌倉の臨済宗。それにインゲン豆で有名な隠元和尚の黄檗宗。

学生のとき、進学教室でバイトをしていた時、そこに印哲から『禅』を大学院で学んでいた学生がいたので、黄檗は民衆に入り余り興味もなかったので、この曹洞と臨済、この似ている二つの違いはなんだ、聞いたことがある。かれは臨済は鎌倉であり、武士の精神修行の為の要素が多くあり、曹洞は純粋仏教を求めるところがある、という。勿論彼は曹洞研究だから、臨済宗に高い評価をしていなかったのはわかる。確かに、道元は『悟り』などすら否定する、ただ座る、この『只管打座(しかんたざ)』これに徹しいる。たしかに、一般に『悟りを開いた』なんて自ら言う者には、どこか胡散臭い生悟りやインチキ臭さを感じるが、道元さんはこの『悟り』をも否定する。この禅からの哲学として記したのが西田幾太郎だ。西田哲学などと称して今でもファンは多いようだが、俺は、もし禅が『只管打座』なら、道元のいう通りなら、西田のような余計なおしゃべりはせず、只座ればいいのでは?などと思うが
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