貧しとも自分のプライドは持ち続け、賎しいことはしない。この心の気高さはいつも維持する。確かに江戸文化には、この下級侍の伝統はあった。あの福澤諭吉も『痩せ我慢の説』という一文を記し、この江戸下町文化に高い評価をしている。これはいかに今が苦しくとも、そして、痩せ我慢といわれても、自己の独立、しっかり自分を見失わず生きると言う、やはり見事な生き方だと思う。よく本音で生きると言っても、デタラメに生きることがいいように言われることがあるが、本音と実はなかなか明確にならない。江戸下町文化はこの痩せ我慢が彼らの本音なのだろう。生き方に美しさを求めるという彼らの本音が、しっかりそこにあるので、江戸文化は維持され続けたのだろ。北斎、写楽だった、無理をしてまで『美』を求めた。金銭や飲み食いにばかりを本音を求める今の人達の本音からは、江戸文化を支えた人達の本音が分からないだろう。分かるとしたら、今も下町工場のオヤジさんたちの自分の技術に対するプライドの様なものだろい。彼らは確かに寝食を忘れて実に優れたものをつくる。彼らも『武士は食わねど高楊枝』と言う気持ちは持っているだろう。
優れた文化や生産には、この痩せ我慢しても、なんとか良いものをつくる、という精神が発展を支える。
いま日本人に求められていることは、これまでのわけの分からぬ本音は捨て、むしろ、この『痩せ我慢』してもなんとか、良いものにする、という高いプライドなのではないかと強く思う。やはり美しいものがいいのだ!
(^-^)
優れた文化や生産には、この痩せ我慢しても、なんとか良いものをつくる、という精神が発展を支える。
いま日本人に求められていることは、これまでのわけの分からぬ本音は捨て、むしろ、この『痩せ我慢』してもなんとか、良いものにする、という高いプライドなのではないかと強く思う。やはり美しいものがいいのだ!
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