今目の前にある電気も、また電力予測も、その影響の経済予測もみな一応の未来予測を念頭にある。即ち、物理学も化学も医学も薬学も、法学も経済学も、哲学も、まず、一定の真理とされるものを前提に未来予測をするのだ。これである程度は人間の安全と言うものが、なんとか確保できているのだろう。もし、電気工事の作業員のだれもが電気の法則を知らなかったなら、とても電気工事を安心して任せるわけにはいかない。このようにしたら、安全で、あのようなことをしたら危険と、未来を予測できる者に工事をまかす。このように未来を予測できる、またその影響力が大きいものなら、さらに高度な学問知識が要求される。これを任せられる人たちを専門家という。医者だって知識技術のあやふやなヤブ医者に自分を任せることは出来ないだろ。しっかりした医者なら未来を予測できるから、その治療に信頼を置けるのだろ。政治も同じで本来なら高度な知識と判断能力が必要なのだが、いまの、人気がありさえすれば当選するという時代では、能力の劣る議員がほとんどだろう。その危なっかしさは今の日本の危機だろう。口先で、甘い未来だけを語り当選する議員の多さには驚くが、しかし、問題はそんなに甘い未来が本当にくるのかが問題なのだ。口先ではどんな甘いみらいでも描くことができる。この口先だけで当選した議員に政治を任せるには恐怖が先立つ。事実、今回の原発事故は、この甘い議員の甘い予測によって引き起こされたと言ってよい。このような未来への甘さは、至るところでみられる。たとえ、いまジャーナリストなどが叫んで市民を巻き込んでいるすべての原発反対運動も、彼らの言うように、現在のすべての原発をとめて、それによって我々が生活している経済活動、産業活動全てが維持できるというのだろうか。長期的には東北大学の西澤潤一さんの言うような、水力発電の可能性の拡大も思考実験として、持たねばならないだろ。しかし、専門家でもない市民デモをしている人達やジャーナリストたちにどれだけの未来予測が可能なのか、ただ甘い夢をかたること実に簡単だ。だが、その実現には、大変な学問的能力が必要だ。デモなどやってる連中はまずなにも知らないくせに、自分を正義のつもりで気分を高揚させ自己主張をする、勘違い人間の集まり連中に間違えない。
今こそ、学問研究のしっかりした専門家の登場を期待するが、甘い夢主張のデモなどするお馬鹿議員の大声の前には、これも夢に近い。困った時代だ