自分は生きている。そう思っているだろうが、生きていることは実は他者の存在があって初めて自分の存在が確認できる。家族であったり、恋人で会ったり、また人間でなくとも、周りの環境だったり、とにかく自分以外の存在があって初めて自分の存在が確認できる。
それが特に幸福ということになると、そこに愛情が必要となってくる。その愛するものが恋人の場合や、子供の場合、また時にお金であったり、なにがしかの夢であったり、さらに神であったりする。とにかく愛する対象が重要になるのだ。
その愛情が深ければ深いほど、それが身近になったり、手にすることができたとき、人は幸福になるであろう。
しかし、幸福を知らない人は、この愛情というものを実にいい加減に、薄っぺらな愛情しか持ち合わせない人が多いのではと思う。
男女の恋愛の今の日本の第一人者的作家、瀬戸内寂聴さんは、よく人生の相談にくる若い最近の人と接してて、この愛情の薄っぺらさ、人を真剣に深く愛したことのない、上面だけの愛情しか持ちえない人が悩みの相談にくることが実に多いと嘆いていた。
昨今は、若い女の子も性が解放され、性的欲望を満足させることには障害が減っているのは確かだろう。しかし、その性的満足が愛情に、人を愛することにはつながらない。だから、薄っぺらな愛情しか味わえないのではないか、真剣に人を愛することをしないことが、幸福から遠ざかってゆくことを知らないのかもしれない。たしかにたくさんの性を伴う友達はいても、真剣に愛する、勇気も意欲もないがゆえに、いつもさびしく、幸福からいつも遠い存在となる。また一生幸福にはなれない存在となってしまうのかもしれない。
人を本当に愛するということは、誠実さ、その強い意欲や、さらに勇気も必要となる。時に命を懸けることすらある。
人を愛することのいい加減な人は、常に刹那刹那の消えゆく感覚的のみを得るだけで、こころは幸福にはなれず、不幸から脱することのできないみじめな人生で終わることとなるのだろう。
この世に生き、真に愛することの大切さを知らない人が現代は実に多く、幸福を知らず一生を終えることになるだろう。それはもともと、傲慢で、真の勇気がなく、臆病でひきょな人間なのであり、それはもちろん自業自得なのではあるが・・・
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