まえに「みんな、幸せにむかって」をかいた。


しかし、なぜそう書いたかというと、幸せは人によって実に異なるからだ。

ほとんどの人の場合、男と女の結ばれることを想像するかもしれない。

特に女性の場合、結婚をという具体的な幸せをイメージするのがほとんどだと思う。

男の場合、あまり結婚ということに幸せというイメージがわかず、むしろ生活を縛られ、責任ばかり求められ、中には結婚を沈没と表現するものもいる。


たしかに女性の場合、具体的な生活の心配も背景にあるのだろう。

ある程度の生活力のある男を捕まえて、結婚してしまえば、ある程度の生活が保障されるという、実に具体的な打算を背景にある結婚というものもあるだろう。

これは一般に表向き、決して美しい結婚とはいえないのかもしれない。

だだ、純粋な愛のもと、利害打算の全くない結婚など、そうとう自分に、またすべてに、余裕のある人しかできることではない。

だから、生活をともにするということは、むしろまず打算も認めて結婚したほうが、いろいろな面で余裕のない男女には必要なのかもしれない。


女は男の利害打算を非難することが多いが、実は女はかなり、いや、さらに利害打算でできているようにに思うことが多い。すなわち、素敵な王子さまが白馬に乗って、などと夢を描きながら、裏では、自分自身で気が付こう、付くまいと、実はちゃっかり、生活も考えている。女は結構うそつきなのかもしれない。背景に、女の虚飾、というものの見え隠れを、いつも引きずっているのかもしれない。


イスラムの世界では、一夫多妻が認められているところが多いようだ。すなわち第一夫人、第二夫人、第三夫人・・・と。実はこれは具体的な生活の問題が背景にあったようだ。

イスラムが勢力的な地域では戦乱が多く、絶対的に男が少なかった。また、砂漠など地域環境が悪く、女が生活する場合、困難が多く、生活に余裕のある男が女を生活させる一面があったようで、否応のないものかもしれない。


もちろん、鳥の多くは、一つがいのペアができると、本当に死ぬまでそのペアを変えないらしい。

人間の仲のいい夫婦をみると、その鳥の夫婦のような雰囲気が感じられる。もうそうなると利害打算ではない、運命共同の結びつきのようにも感じられ、実にいいものである。やはり、それも、とても大きな幸福なのではないか。はじめは利害打算であっても、そこまで行くと、もう幸福の領域になる。そこには相性もあるだろうが、互いの日日の努力もあるのだろう。また何よりも率直な心がないと、そこまでにはたどりつかないだろう。率直になるということは日々の努力がないと、なかなかできない。身勝手なことばかり言うようでは、ほんとうの意味での率直にはなれないはずだ。相手への思いやりがないと、そんなことは、けして成立しない。



ただ、人間の生活は、こんな小利口な評論で、すますものではないのだろう。

今回の大震災で、「お父さんがいない。もう生きてゆけない」と泣く女性の姿がテレビに映されていた。その気持ちに一切の嘘はないだろう。もうそこにはつまらん評論はいらない。やはり本当の嘘のない人間の生活が確実にあったことは、間違えないだろう。こんなこの確実な生活が被災地でも、どこでも、本当はいたるところで確実にあり、それでわれわれ皆がささえられ、ささえながら、我々の生活が成り立っているのかもしれない。


今回の大震災では、胸がいたむ。




http://www.youtube.com/watch?v=wziUHxcABNk&feature=related