渡辺淳一さんのことを「男と女」小説で第一人者のような書き方をしてしまった。間違えである。


渡辺さんの本をまともに読んだのは、小説「心臓移植」だけ。他は立ち読み程度で多少は読んだが、あくまでもその範囲。銀座のバーに入り浸りとのことはよく聞く話。でも開き直ったのか堂々と「鈍感力」などという、みっともない自己弁護本も出しているようだ。(笑) この世を楽しむいろいおな男と女の方々のレベルのよっては、それもいいのかもしれない。


ただ、男と女で特質されるのが、瀬戸内晴美(現 瀬戸内寂聴)。私は高校生の頃、その頃の生意気な高校生はいろいろなことに興味を持ち、逆にその浮かんだテーマの重さにいささかノイローゼ気味であったようだ。思春期とときは、いろいろ難しい時で、思い出したくもないような気分もあるが思い出もある。いろいろな本を読んだが、瀬戸内晴美に関しては「美は乱調にあり」という、アナーキスト辻潤とその妻伊藤野枝をテーマにしたものを読んだ記憶がある。この瀬戸内晴美自身、大変な人生を歩み、自分の好きな男のため、自分の娘を放り出し、男の元へ走っていった、という激しい恋の亡者でもあったようだ。そして、五十となったころ、精神的に行き詰まり、自殺するか、仏門に入るか悩んだ結果、得度して瀬戸内寂聴となったわけだ。まー彼女のすさまじいでたらめさは、むしろ実の爽快さもあるようにも感じる。この点、まだ安っぽいお行儀のよさを残す渡辺淳一などは、彼女には、遠く及ばない。ギリシャ古典でも本当のエロース(愛)はものすごいものである、とある。彼女はそのエロースのものすごさをこの世で実践したのかもしれない。ただエロースは狂気であり、正気に戻った時、その愚かさに大変な苦痛を味わうことになるのであろう。その苦しみにから解放されるためにも仏門に入り、瀬戸内寂聴として今があるのだろ。だから彼女は大きな誤りを犯した凶悪犯と親密に心を通わせることができ、慰め、懺悔をともにしているのかもしれない。そしてこの世の恋愛より、小説として、あの日本の宮廷恋愛小説の元祖「源氏物語」の訳をし、恋の面白さを伝えているのでありましょう。


私は彼女の持つパワーは、渡辺淳一などはと比べると、彼は単なるチンピラに過ぎず、そのうえ、徹底して自分を見つめ、得度して仏門に入るパワー‐を持っている。しょせん罪深い人間どもである我々にも温かい慈悲の心を示しているのかもしれない。


ただである、私は彼女の慈悲は美しいが、さらにさらにもっと美しいものが別にあるように思うときがあるのだが・・・。