もう政治ネタはみはなした。
そこで、一般の多くの人たちは「男と女」のお話がお好きのようです。
男も女も実は色事がお好き??
いまや、日本で男と女の話と言えば渡辺淳一さんですかね。
彼の本を一冊もっている。ただ残念かもしれないが心臓移植の話だ。「死」の定義、「死」ということにちょっと・・・
彼はまだ若いころ、札幌医科大学の整形外科医者だった。1970代のはなしだ。当時は心臓の停止を「死」の判定の大きな要素だった。今のように脳死判定など言われなかったことだ。やはりその頃心臓移植が新しい心臓疾患の道とされ、世界中の心臓外科医は競うようにこれに挑戦し始めたころだった。日本は仏教思想もあり、躊躇する医者が多く、その慎重な医者が多かった。ところがアメリカンスタイルの札幌医大の和田寿郎という心臓外科教授が日本初の心臓移植に挑戦した。心臓移植は生きた心臓を移植しなければならず、死をいかに判定するか大きな問題であった。実はそこには極めて怪しげな心臓提供者の死の判定に疑問が噴出。また移植を受けた患者の心臓も移植を受けるまでひどい状態ではなかったのではないか、疑念が浮かび上がったのだった。すなわち心臓を提供するドナーは海でおぼれたのだが、札幌医大に運ぶ途中で息を吹き返し自己呼吸も呻き声も出していたというのだ。ところが、医大についてからは、蘇生の専門の麻酔科の医師は追い出され、直接心臓外科へ運ばれ、そして心臓移植の心臓提供者となったようだ。肝心の提供者の死の脳波計の記録は残されずにだ。また、移植を受けた患者は、同じ医大の心臓内科から心臓の弁だけを人工弁に取り換えるように心臓外科に回されたという。内科からは心臓全部を取り換えるまでの必要性はなかったのではとの話に、和田教授は心臓外科に来てから極めて悪くなったと説明されたが、証拠の取り出された患者の心臓は何者かによって、ずたずたに切り裂かれていたという。
さて、当時渡辺淳一は同じ病院で勤務しており、これをテーマ「小説 心臓移植」を書き、文壇に華々しくデビューしたわけなんでありますな。かなりお堅い正義派文士であった渡辺さん、その後も、医療関係のエッセーなどもお書きになる、硬派的印象の方でありました。たぶん文壇で名をあげ、北海道から東京に出てきてからは、「生だとか死だとか」考えてるとつらくにでもなったんでしょうかね、その後はすっかり銀座のバーなどに入り浸ったでしょうな。。。りスタイルが大きく変わっちまったようですな・・・。いまでは男と女の軟派の第一人者でありましょうか。。。。
そこで思い出すのが石原慎太郎。一橋大学の学生でありながら、当時してはもう軟派もんの代表者てき小説「太陽の季節」を書き、華々しく文壇にデビューした彼が、いまや、お堅い政治家として日本の国家を語るすがた。
やはり、いろいろ思うことがありますな。
中年になってから、北海道の田舎から、お堅いすたいるで東京に出てきたが、銀座にはまって「男と女の」小説ばかり書き始めるのと、若き文壇デビューで二十台前半で銀座を知りつくし、そのはかなさも知ったのでありましょうか、お固く日本を憂うすがた。
面白いですね~~人間の人生とは。
(^-^)