ほらね…何かスッキリした。

とかく歴史には自分らの利益も無意識に抱える歴史家がいる。何時の時代も。そこに倫理とか道徳、さらに正義まで加え、真実を隠す場合もある。例えば、ヘーゲルという、歴史哲学者がいる。いまでも、日本に限らず世界の学者さんと言われる人々にはこのへーゲリアンが沢山いる。しかし、このヘーゲルさん、かれはキリスト教の御用学者、キリスト教弁神論を言っているだけなのだ。キリスト教の物差しで歴史を語っているに過ぎないのだ。しかし、今の日本も韓国も、また中国の学者の一部にはこのヘーゲルさんのものの歴史の見方をいまもってしているのだ。歴史の祖ツキディデス など全く違う見方をしている。私は歴史を見るとき、まず、倫理や道徳という色眼鏡をはずし、生の人間が利害を含めどう行動に注目する。このことによって初めて不幸の原因が見えてくるのだ。そんな道徳で歴史を見られたら、戦前の日本の道徳をもとにみる皇国史観ともなをら変わりないことになる。道徳を元にする歴史観は一見正しそうで大衆にはうけるが、しかし、それで動かされ犠牲になるのも、民衆なのだ。

歴史は美名ではない。そもそも、不幸の日記帳のようなものだ。人間の醜さのオンパレードなのだ!

美名だけの道徳史観など、ぶっ飛ばせ!と言いたい!

そんなの、虚しい対立の原因を古今東西引き起こしているのだ!

闘いは嘘でもいいから、それぞれの戦闘の正当化、道徳的に正しいことに、互いがし闘うのだ。しかし、歴史はこの道徳の美名を引っ剥がすことこそが大切なのだ!(^-^)