ジャック・ヒギンズ『鷲は舞い降りた〔完全版〕』 | 文学どうでしょう

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ジャック・ヒギンズ(菊池光訳)『鷲は舞い降りた〔完全版〕』を読みました。

 

「冒険小説」(というものを定義すること自体難しいですけど)の傑作を一つあげろと言われたら、おそらくかなりの票を集めるであろう人気作品が『鷲は舞い降りた』なのではないでしょうか。タイトルがいいですよね。一度聞いたらもう忘れられない感じ。

 

巻末にある佐々木譲の解説によると、元々『鷲は舞い降りた』は、1975年に出版された作品で、1982年に登場人物のその後を紹介したエピローグ等が加えられた〔完全版〕が発表されたとのこと。その翻訳の文庫版が、すなわち今回紹介する本というわけです。

 

「冒険小説」と一口に言っても、失われた宝をめぐって秘境や海洋を探検するものとか、スパイものとか、本当に幅広いものを指すジャンルなのですが、特にハヤカワ文庫NVに収録されている、絶対に不可能なミッションに挑む軍事ものの人気もかなり高いです。

 

アリステア・マクリーンの『ナヴァロンの要塞』とか、デズモンド・バグリイの『高い砦』とか、セシル・スコット・フォレスターの『アフリカの女王』とか。そして、そうした軍事ミッションものの金字塔とも言うべき作品が『鷲は舞い降りた』なのです。

 

率直に言って、これはめちゃくちゃよかったです。まさに興奮ものでしたね。刺さる人にはめちゃくちゃ刺さる作品だと思います。(そして僕には刺さった)ただ、一般受けはしないかもしれないです。物語にせよ登場人物にせよ、感情移入しやすいものの方が一般には好まれる傾向にあると思うので。

 

『鷲は舞い降りた』は第二次世界大戦を舞台に、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルの誘拐を目論むドイツ軍の落下傘部隊の極秘ミッションを描いた物語なのですが、この紹介だけでももう共感や感情移入が難しいことは明らかなのではないでしょうか。

 

つまりこの物語は、正義の側に立つヒーローたちの物語ではないわけです。どちらかと言えば悪者として描かれがちな組織に属する人々の物語であり、しかしだからこそ、この作品には他の作品にはない、際立った面白さがあるのです。

 

と言うのも、ハリウッド超大作のアクション映画などを思い浮かべてもらえると分かりやすいと思いますが、ヒーローの多くは脅威に立ち向かうための理由を持っています。たとえば大切な人を守るためだとか世界の平和を守るためだとか。つまりヒーローは愛と正義を胸に戦うのです。

 

そういう物語は共感や感情移入を生みやすいわけですが、一方、『鷲は舞い降りた』に登場する兵士たちには、そうした胸を温かくさせるような理由は何一つないのです。作戦を実行するための駒にすぎないわけですし。では何故、兵士たちは絶対不可能とされるミッションに挑むのか。

 

その答えは簡単で、それが与えられた任務だから。個々人としては様々な疑問や矛盾を抱えながらも、それはそれとして任務に徹するのです。すべてが無駄で徒労に終わることかもしれない、しかし必ずやり遂げる、何故なら、それが任務だから。

 

ある意味では思考停止とも見えるわけですが、ひたすらに任務に挑む姿はまさに「プロフェッショナル」という感じで、それがただただかっこいい作品なのです。甘ったるさとは無縁の、無情な世界で生きる兵士たちに、決して忘れられない印象が残ります。

 

作品のあらすじ

 

歴史小説の調査のために教会の墓地を訪れた〈私〉ジャック・ヒギンズは、墓碑の下に平らな石が隠されているのを発見します。そこには、「一九四三年十一月六日に戦死せるクルト・シュタイナ中佐とドイツ落下傘部隊十三名、ここに眠る」(22頁)と彫られていたのでした。

 

その驚くべき発見に興味を抱いた〈私〉はそれ以来、様々な資料を読み、関係者へのインタビューを重ね、歴史に隠された驚くべき事件の真相を突き止めたのです。そもそものきっかけはムッソリーニが落下傘兵によって救出されたことでした。

 

それを知ったヒトラーは、わが軍の部隊も優秀なら、たとえばチャーチルを誘拐してくることだって可能なはずなのにと口にします。戦況がおもわしくないことへの苛立ちから出た、半ば冗談、半ば叱責のような言葉でしたが、その言葉はヒムラーの胸に刻まれます。

 

そんな中、イギリスの田舎で暮らしているスパイのジョウアナ・グレイから、チャーチルが空軍爆撃隊基地を視察した後、自分の知り合いの退役海軍中佐サー・ヘンリイの元で週末を過ごす予定であるとの報告が寄せられました。誘拐するにはこれ以上ない絶好の機会です。

 

現実性に乏しいとしてこの作戦は一度却下されますが、情報を聞きつけたヒムラーはマックス・ラードル中佐に、これを見たものは誰もがラードル中佐に最大限の協力をするようにと記された、総督兼首相ヒトラーの署名入りの手紙を渡し、作戦の実行を命じたのでした。

 

手紙の真偽を疑う者はヒトラーに直接尋ねる他なく、そんなことが出来る人は誰もいません。ラードルは作戦に必要な人材を集め始めました。まず何よりも大事なのは、現地でイギリス人として通用する将校です。白羽の矢が立てられたのは、ドイツ人の父とアメリカ人の母を持つクルト・シュタイナ中佐でした。

 

ワルシャワでユダヤ人の娘が上官の少将に乱暴されそうになっているところを止めたことで軍法会議にかけられたシュタイナ中佐は、部下たちとともにドイツ軍占領下の島に送られ、〈めかじき(ソード・フィッシュ)作戦〉に従事させられていることが分かります。

 

それは魚雷にまたがって敵の船を攻撃するという、常軌を逸した作戦でした。経歴、見た目や話し方、勇敢さ。シュタイナこそこの作戦にふさわしいとラードルは思います。それから実行部隊以外には、スパイのミセズ・グレイが高齢なので、現地で手助けをする人材が必要でした。

 

そこでラードルが目をつけたのは、IRA(アイルランド共和国軍)の工作員リーアム・デヴリン。話を聞いたデヴリンは、「断る理由はないな、中佐。どの道を通って行っても、結局は地獄に行き着くことになるのだ。そうだろう?」(149頁)と作戦への参加に応じ、ラードルとデヴリンの二人は、シュタイナに会いに行きます。

 

 ラードルが上衣の内ポケットから例の封筒を出して、総統の指令書を取り出した。「これを見ておいた方がいいようだな」
 シュタイナは、なんら表情を変えることなく読み、肩をすぼめると、ラードルに返した。
「だからどうだ、というのだ?」
「シュタイナ中佐」ラードルがいった。「きみはドイツの軍人だ。われわれは同じ誓いをたてた。これは総統じきじきの命令なのだ」
「きみは、きわめて重要な一点を忘れているようだな。わたしはいま、公式に不名誉な烙印を押され、死刑の執行猶予のもとに、懲役部隊にいるのだ。わたしが階級を維持しているのは、当面の仕事の特殊性によるものにすぎない」尻のポケットからクシャクシャになったフランス煙草の袋を取り出して、一本くわえた。「いずれにしても、わたしはアドルフは嫌いだ。声が大きいし、息がくさい」
 ラードルはその言葉を無視した。「われわれは戦わなければならないのだ。それ以外に途はない」
「最後の一兵まで?」
「ほかに途があるか?」
「われわれは勝てないよ」
 ラードルがまともな手を拳に握りしめた。感情がひどくたかぶっていた。「しかし、彼らに考えを変えさせることはできる。果てしない殺し合いよりなんらかの和解に到達する方がいいことを、理解させるのだ」
「それで、チャーチルを殺すことが、その役にたつ、というのか?」疑わしそうにシュタイナがいった。(166~167頁)

 

作戦は成功率が高いと思うが、非常に些細なことで全体が狂ってしまうこともあると言ったデヴリンにシュタイナは、君は何故行くのかと尋ねます。デヴリンは、「答えはかんたんだ。そこに冒険があるからだ。おれは、偉大なる冒険家の最後の一人なのだ」(168頁)と答えたのでした。

 

部下のことを思い、なかなか説得に応じないシュタイナでしたが、ラードルは切り札を使います。実はシュタイナの父は今、反逆罪で囚われの身となっているのでした。作戦に参加すれば情状酌量に役立つと諭されたシュタイナは、やむを得ず作戦への参加を決意します。

 

シュタイナの部下たちは英語があまり話せないので、さらに作戦に加わったのがイギリス自由軍兵士だったハーヴィ・プレストン少尉。劇団の俳優あがりで、イギリス人将校になりすます詐欺を行って捕まっていた人物です。これで極秘作戦のメンバーが揃いました。

 

偽りの肩書きと仕事を手に入れ、ミセズ・グレイの手引きで現地の村へと潜入したデヴリン。作戦実行の際に必要な道具などをそろえるのがその役目でした。よそ者を受け入れない村人たちからは煙たがられますが、若い娘モリイ・プライアは一目見てデヴリンのことを気に入ります。

 

こんなことをしている場合ではないと思いながらデヴリンもまたモリイに心惹かれ、ミセズ・グレイの忠告もむなしく二人は激しく愛し合う仲となってしまったのでした。やがてささいな、思いがけず歯車が狂う出来事が少しずつ起こっていき、そんな中ついに作戦決行の日を迎えたのですが……。

 

はたして、シュタイナ中佐率いるドイツ落下傘部隊は、イギリスの首相チャーチルを誘拐するという、前代未聞の極秘任務を成功させられるのか!?

 

とまあそんなお話です。曲者ぞろいのメンバーを一人また一人と集めていき、不可能と思われるミッションに挑む、もうそのプロットだけで面白いですよね。そしてこの物語は、複数の人物に焦点があたる、群像劇と言えるようなスタイルです。

 

極秘作戦の道筋を作るラードルが主人公とも言えるし、実行部隊を指揮するシュタイナが主人公とも言えるし、潜入する工作員デヴリンが主人公とも言えるような作品で、それだけ個々の人物の苦悩が深掘りして描かれています。

 

シュタイナやデヴリンの過激な生き様にハラハラドキドキさせられるのはもちろん、意外や意外、現場に出るわけではないラードルにも強い印象を受けました。というのも、ラードルの人生もこれまた安定とはほど遠い、綱渡りと言えるものなんですよ。

 

たとえばラードルはヒムラーからとんでもない作戦を無茶ブリをされたわけですが、断るという選択肢はありません。何故なら反逆罪に問われて愛する家族にまで影響が及ぶおそれがあるから。むしろラードルこそ、この作戦を絶対に成功させないといけないと最も強く思っていた人かもしれません。

 

上からは無茶なことを押しつけられ、下からは突き上げられる、その苦悩は究極の中間管理職といった趣があって、ラードルというキャラクターもまた非常に興味深かったです。プロットがずば抜けて面白く、そんな風に魅力的なキャラクターがたくさん出てくる冒険小説の名作なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。