デズモンド・バグリイ『高い砦』 | 文学どうでしょう

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デズモンド・バグリイ(矢野徹訳)『高い砦』(ハヤカワ文庫NV)を読みました。

 

「冒険小説」の名作として名高い『高い砦』には二つの層の面白さがあって、第一の層はまず、普通の人々が軍事的な戦いに巻き込まれてしまう物語であること。学校の女性教師や歴史学者、物理学者など一般の人が、自分たちの身を守るために戦わざるをえなくなるのです。

 

満足に戦える武器がないので、歴史の知識や知恵を絞って石弓(クロスボウ)やモロトフ・カクテル(火炎瓶)を作ったり、後には投石機を作ろうと試みたりします。しかしそうした中世の武器で、銃を持っているたくさんの兵士たちに挑もうとするわけですから、絶対的に不利なハラハラドキドキの戦いとなって目が離せません。

 

そして第二の層は、群像劇に近い感じの作品なので主人公というと少し違うのですが、主な登場人物の一人である操縦士のティム・オハラは心が傷ついた男であること。戦争でひどい目にあい、それ以来お酒が手放せなくなってしまった、そういう男。

 

みなが戦いに巻き込まれる原因となった、南米の国コルディヤラの元大統領アギヤルとその姪で、いつしかオハラと惹かれあっていくベネデッタは、オハラが抱え込んでいる心の傷について、こんな風に話し合います。

 

「かれ、そのことを話したがらないの」
 アギヤルは首をふった。
「それも実に悪いことだ。人間がそれほど自分の中に閉じこもっているってことはよくない……激しさがたかまってゆくからね。それはボイラーの安全弁をしめつけてしまうようなことだ……いつ爆発するかわからなくなるからね」かれは顔をしかめた。「あの若者が爆発するとき、わしはその近くにいたくないな」
 ベネデッタは鋭く顔を上げた。
「馬鹿なことをいわないで、おじさま。かれの怒りは川のむこうにいる連中にむけられているのよ。かれがわたしたちに害をおよぼすなんてこと考えられないわ」
 アギヤルは悲しそうに彼女を見た。
「そう思うのかい? かれの怒りはかれ自身にむけられている。爆弾の力がその弾体(ケーシング)にむけられているようにね……だがその弾体がこわれるとき、まわりにいる者はみな傷つく。オハラは危険な男だよ」(218~219頁)

 

『高い砦』は、クーデターを起こしたコルディヤラの共産党の兵士たちから元大統領のアギヤルを守ろうと、巻き込まれてしまった一般の人たちが必死に戦うスリリングな物語であると同時に、心傷ついた駄目男オハラの復活の物語にもなっていて、それがまた非常に面白いのです。

 

ハラハラドキドキの戦いとロマンスの塩梅がよく、また傷ついた心を持ち、落ちぶれて駄目になっているところがかえって読み手からすると魅力的なキャラクター、オハラにはずば抜けたよさがあって、やはりなるほど名作だなという感じで、個人的にはとても楽しめた作品でした。

 

作品のあらすじ

 

甲高いベルの音で、安ホテルで女と眠っていたイギリス人の操縦士ティム・オハラは目を覚まさせられます。不具合で出発できない大手空港会社の飛行機があり、その乗客を運ぶための臨時便の操縦を頼むという、自分が勤めている小さな航空会社の社長からの電話でした。

 

金属製のフラスクの中に、酒が半分しか残っていないことにいまいましい顔をして、オハラは空港へと向かいます。乗客十人をサンティヤナまで運ぶことがオハラの仕事でした。乗客たちは飛行機の古さに驚き、不平を漏らしますが仕方がありません。

 

飛び立った後、オハラとは前からそりが合わない副操縦士のグリバスが小さな自動拳銃を取り出して銃口を向け、コースを指示し始めたので驚きます。自分が押さえつけすぎたせいかと思い、話し合おうとするオハラでしたが、グリバスは「おれがこんなことを、個人的な理由でやっているとでも思うのか?」(37頁)と不敵に笑ったのでした。

 

滑走路とは名ばかりの、山を切りひらいて作った道路に無理やり着陸させられ、なんとか成功したものの危険なバランスを保っている飛行機は今にも谷間に落ちそうな状態。オハラと乗客たちが慌てて降りた直後、飛行機は轟音を立てながら崖をすべり落ちていきます。

 

半ば衝突事故のような無理な着陸のせいで、グリバスを含め、死傷者が出てしまいました。そもそもの、大手航空会社の飛行機の不具合も含め、大きな陰謀が働いているのではないかとみなで話し合っていると、乗客の一人がどうやらこれは自分の責任のようだと口を開きます。

 

それは「老いたる鷲」として知られる、南米の国コルディヤラのアギヤル元大統領でした。五年前に軍部の革命が起きて追われる身となりましたが、政府を取り戻すために帰国しようとしていた所だったのです。しかし今や政権を牛耳っているロペス将軍によってそれを阻止するための陰謀が仕掛けられていたのでした。

 

今は人が住んでいない小屋になんとか避難した一行ですが、オハラの航空会社が飛行機そのものやスケジュールの管理をいい加減にしていることもあって、助けが来る見込みはなさそうです。やがて川向うに共産党の兵士たちがトラックでやって来て、銃撃を受けてしまいました。

 

もはや一巻の終わりだとみなは恐怖に震えますが、やがて峡谷にかかっている吊り下げ式の橋の、真ん中辺りの板がなくなって、川の中にトラックが落ちていることが分かります。オハラたちにとっては幸運にも、橋が壊れたせいで兵士たちは滑走路まで襲撃に来れなかったようでした。

 

兵士たちは橋の上をはって動き、板を一枚ずつ縛り付けるようにして橋の修理を始めます。修理に必要な板の枚数は三十枚ほどで、十五時間もすればトラックでこちらへ渡ってこれそうだというのがオハラたちの分析でした。

 

しかし、いずれにせよそこまでの命です。いさぎよく降伏してアギヤル前大統領を共産党の兵士たちに引き渡すか、それともあくまで戦うかをみなで話し合いました。戦うことに賛成の者も反対の者もいますが、歴史学者のアームストロングの意見がみなの方針を決定づけます。

 

「問題となっている点は、セニョール・アギヤルを川のむこうにいる紳士諸君に引き渡すかどうかだ。ぼくの見るところ、われわれに影響をもたらす重要なポイントは、むこうの連中がかれをどうするかということだね。あの連中がやるのはかれを殺すだけで、そのほかにはないと思うんだ。高い地位にある政治家を囚人として拘束するなどということは、とうの昔に流行おくれになっているからね。さて、もし連中がかれを殺すのなら、自動的にわれわれをも殺さなければならないことになる。この事件を世界に知られてしまうような危険を冒すことはできないからね。かれらはこの上なく痛烈な非難を浴びることになる。かれらが手に入れはじめたものを失ってしまうかもしれないほどにだね。ひと口にいえば、コルディヤラの国民が、そんなことに耐えられるはずはないということだ。そこでおわかりだろうが、ぼくらはセニョール・アギヤルの命のために戦うのではない。ぼくら自身の命のために戦うことになるわけですな」
 かれはパイプを口にもどすと、また不作法な音をたてた。(132頁)

 

そうして戦うことを決意した一行は、弓の大会で優勝したことがあるという女性教師ミス・ポンスキイの発言や、アームストロングの歴史の知識、物理学者のウイリスのアイデアなどを元に、材料を集めて自分たちで石弓(クロスボウ)などの武器を作り始めます。

 

そしてまた、一か八かに賭けて、それぞれが登山の経験を持つ、アギヤル元大統領のボディーガードのミゲル・ローデとサラリーマンのレイモンド・フォレスターの二人が、一万九千フィートの山脈を越えて救援を求めに行くことになりました。

 

ところが、酔っ払いの実業家のピーボディが戦いから逃げたいが故に自分もついていくと言い出します。ローデとフォレスターは足手まといになることを確信しますが、残していってもみなを率いるオハラの邪魔になるだろうと考え、渋々ついて来ることを認めたのですが……。

 

はたして、ローデとフォレスター、そしてピーボディは高い山を越えることができるのか? そして共産党の兵士たちが橋を渡って来るのは時間の問題、まさに風前の灯火とも言うべきオハラたちの運命やいかに!?

 

とまあそんなお話です。物語の途中で、橋を挟んで戦うオハラたちのストーリーと、救援を求めに山脈を越えていこうとするローデ、フォレスター、ピーボディの二つのストーリーに分岐します。そして後者の山のパートもまた、かなりハラハラドキドキで面白いです。

 

標高が高いので、もちろんどんどん雪深い場所になっていくわけですし、なによりそれだけの高さだと酸素が足りなくなるため、体を高度に慣らしながら行動しないといけないのです。絶体絶命とも言えるオハラたちの状況を考えると、一刻も早く移動したいのは山々ですが、なかなかそうもいきません。

 

足手まといのピーボディは飲んだくれで、ずっとみなに迷惑をかけ通しなのですが、オハラはそんなだらしない態度のピーボディを時折どなりつけながらも、「酔っ払い仲間だ」(117頁)と自分もさして変わらないと感じるところがとても印象的でした。

 

訓練された兵士ではなく、学者や実業家など一般の人が知恵と工夫で困難に立ち向かうこと、そして心傷ついた男が奮闘する物語であること。『高い砦』はたくさんの魅力がある、今読んでも面白く読める作品だと思うので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。